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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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2006年09月19日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
ウェブ2.0のスローガンは次の3つ。
オープン(誰でも参加できる)、フラット(参加者の誰もが主役)、外部性(規模が増えると誰にとっても利益となる)。


平成目安箱は、ウェブ2.0の要件を満たす。
平成目安箱は、市民参加型ジャーナリズムの究極の形である。
平成目安箱は、現状の言論の場を整理して組み立てた全体像でもある。
平成目安箱は、よいこの2ちゃんねるでもある。




平成目安箱はグランドスフィア(地面的な空間)を設定することによって、オープン&フラット&外部性を実現する。
およそ言語で表現されたものならば、何でもグランドスフィアには存在することができる。

グランドスフィアは、
・オープンであるがための、乱暴で凶暴な言論も存在する。冗長なだけで意味の低い言論も存在する。
・フラットであるがための、不毛な議論、かみ合わぬ議論も存在する。偏った結論も存在する。
・外部性が実現するため、個々の言論は希釈され、一覧性もなく、検索性は低い。
・別階層を専らとするサマリースフィア、プロフェットスフィアも同時に存在する。



グランドスフィアは、まさに言論のカオスである。すべてのメディアの言論をグランドスフィアにコピイ&ペイストするシステムも必要になるだろう。(それでもなお、P2P言論の存在を配慮せねばならぬ)
グランドスフィアの上の階層に、サマリースフィアがある。

サマリー(要約)スフィアは、
・40字以内のキャプション文と、1200字以内のサマリー文。そして、グランドスフィアへのリンクで成立する。※参照、対照リファレンスへのリンクもあっていい。
・サマリーは読者の便宜を図るためのものである。つまり、総覧的索引や序列的索引のためのキャプションとリード文をつくるためのものである。
・サマリーは、本人が書いてもいいし、他人が書いてもいい。どちらが書こうとも主観的であることは間違いがない。(主観的ジャーナリズム)



サマリースフィアにリンクして、プロフェット(予言者)スフィアがある。

プロフェットスフィアで、
・プロフェットは、サマリースフィアに提出された言論たちを論理的に整理していく。(論理的ジャーナリズム)
・つまり、プロフェットは予言者(シャーマン)であって、メシアではない。新興宗教の中には、神の託宣を受けたと言って、自分が神であるかのように振舞う御仁が見受けられるが、それはタブーである。
・もし、プロフェットが自らの意見を語るならば、グランドスフィアやサマリースフィアに言論を提出しなければならない。
・だが、自らの主観を排して論理的であることは極めて難しい。そのためにプロフェットスフィアをつくって、プロフェットの信頼度を査定する。査定制度には、三位一体なチェックなどの工夫が必要になるだろう。



論理的に下された結論たちの重要度を勘案して、社会にアクションを働きかけるのが、アウトプットシステム。平成目安箱では、サマリースフィアでフォーカスされた主観が、プロフェットスフィアで論理によりインテグレートされる。そのすべてのプロセスで透明性が保たれ、そのすべてのフェイズから社会的なアクションが生まれることも期待できる。
その透明性が保たれた状態がバイン(葡萄の木)ということだ。勿論、葡萄の木なのだから、根もある。その根は地下茎(リゾーム)になっていてもかまわない。つまり、リゾーム(2ちゃんねるの中の悪なるもの)と繋がっていてもいいのだ。つまり、オープン性は保持しつつも、悪なるものは、リゾームにまずは収められ、それを閲覧するには、シャベルが必要である程度のバリアは設定するということだ。



自民党総裁選挙の3候補がテレビに出まくっている。「TVタックルでは、安倍氏が過激なネオコンに走るのではないかとの懸念も紹介された」。だが、私は安倍氏は中道だと思う。中道が、ネオコンに見えるのは、現実路線を引いてももはや支持者を得られなくなったサヨクが理想化路線を強めているからである。
右翼陣営にとって言論は主戦場ではない。だから、2ちゃんねるに右翼言論が跋扈することはない。だが、空虚な右翼言論が2ちゃんねるに登場したとき、当然のようにバッシングが起こることは目に見えている。2ちゃんねるの常套句は、
「根拠を問う」「自作自演でしょ」「工作でしょ」「工作員でしょ」
2ちゃんねるはいかなる空虚な言論。いかなる言論誘導活動も嫌悪する文化を持つ極めてニュートラルなメディアなのだ。



安倍晋三氏の祖父である岸信介氏のとった日米の安全保障体制は、世界の警察としてアメリカが機能することにより、世界全体の緊張関係の解消と軍縮に役立っている現状を見ると、先見の明があったといえるのではないだろうか。
たしかに日本でも警察の腐敗があるように、アメリカが世界の警察に足る資格を持っているかどうかは疑わしい。だが、ひとつの極めて合理的なシステムができあがっている。警察に腐敗や瑕があるからといって、警察がなくていいということにはならぬだろう。そういう世界の警察の横暴を抑止する国連が今回のイラク戦争に関して機能できなかったことも、その瑕のひとつといえるかもしれない。

2ちゃんねるのユーザーは30代、40代という話を聞く。渋谷の街頭演説で安倍さんの演説に足を止めた人たちの中に、若者たちは少なかったとの報道がある。若者たちを支持者に巻き込まなければならぬとの論調もある。だが、私は必ずしもそれが正しいこととは思わない。

岸氏を糾弾したのは、学生たちだった。彼らは時間もあるが、ステークホルダーを持たぬ。そして、社会経験もなく、彼らの持つ知識や学問も学びはじめて十数年にしかならぬ。そういう無垢な人たちが思想の麻薬にさらされ熱狂の渦に巻き込まれたのが学生運動だったといえぬだろうか。

何故、2ちゃんねるが30代、40代のひとたちの場となっているか。それは簡単である。
匿名な場では純粋に論理の戦いになる。その場では20代、10代の知識量が決定的に不足する人たちは自らの引け目を感じざるをえないからだ。
一時期、中学生が暴論を吐き、厨房と揶揄されることが多かったが、最近はそういうことはあまり起きない。
私も、体罰論議などで高校生からバッシングを受けたことがあるが、そういうものは最近は出会わない。その理由は、学生たちがすでに自分たちには勝ち目がないと分かっているから、あえて戦いを挑もうとしないのだ。大人たちとの戦いを避けた若い人たちは、パド厨などとなったり、SNSでコミュニティーをつくっているのかもしれない。

極論をいえば、地に足の着いた論議ができるの人たちの中心は、人生が見えてきた30代、40代の人たち。彼らは、子どもたちのことを考え、親たちのことも考えている。だから、そのような人たちの言論を一世代の突出した意見として孤立化させるのではなく、各世代の意見との対照化をはかるべきである。
その意味でも、平成目安箱は重要である。

国民投票は伝家の宝刀である。小泉首相はその刀を抜くことができずに総辞職した。安倍氏といえども、なかなか国民投票をすることはできない。ならば、民意を探るシステムとしての平成目安箱は不可欠である。
憲法改正にしても、消費税値上げにしても、マスコミのネガティブキャンペーンは必至である。そのようなマスコミが誘導する偏向した言論空間の歪みをただし、政策をソフトランディングさせていくためには、平成目安箱のような市民参加型ジャーナリズムがどうしても必要である。

いかなる言論誘導も許さぬメディア。
それを成功させるのは、システムではない。運営であり、ユーザー文化の育成である。
JANJAN、ライブドアPJ、オーマイニュースを見て、市民参加型ジャーナリズムを見限ってもらっては困る。





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Last updated  2006年09月19日 09時45分26秒



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