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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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Headline News

2006年10月16日
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小学六年生のいじめを苦にした自殺。先生のいじめをきっかけにした中学生の自殺。こどもたちは遺書を残していたため、それがテレビに映し出され、センセーションを盛り上げる。被害者は自殺したこどもであり、その保護者。加害者は学校を管理する先生であり、クラスメートであると、テレビジャーナリズムは糾弾する。

きっこの日記の黒幕と噂されるテレビコメンテーター氏も声を荒らげて、教育関係者を糾弾していたが、彼が一時の感情でテレビの視聴者たちを煽ることに何の意味があるのだろうか。
扇情的なコメントに続いて理性的な論説があり、具体策があり、それを関係者たちに提示し、改善を促さないならば、テレビ者たちの言説はガス抜き効果に寄与するだけ。つまり、社会が動いていかぬための効果を果たす。
ならば、これも社会悪のひとつだ。

確かに、最後の引き金を引いたのは、自殺当時に関わっていた教員たちだろう。だが、自殺に導くようなか弱い精神を育んでしまったのは、小学校低学年の学校教育であり、幼少時の家庭教育であることを否定することはできまい。
かつて、朝まで生テレビで、教育問題を扱ったときに、参加者全員が納得した言説は、こどもたちが万能感(自分が一番という気持ち。犬の飼育でいえばアルファ感。)が壊されていないこと。つまり、いまの教育は、こどもたちにまっとうな挫折を与えることができない。そのことを教育関係者のすべてが合点した。

教育の現場では、小学教員と中学教員の相互不信は高いという。
小学校では個性を伸ばすなどと言って野放しにし、中学校では高校受験に向けて勉強で縛りをつける。
小学校の教員は、中学校の教育を締め付けと批判し、中学校の教員は、小学校の教育を無責任と批判する。
そういうことが起きている。
どちらが正しいというのではなく、どちらも正しいのだろう。そして、それぞれの個性に合った教育の目標を立て努力させる。自らを律することのできる精神を育む。それが教育に求められるものであることは疑問の余地がないはずだ。

こどもたちの自殺が起きてしまったのならば、自らを律する精神を育むことができなかったことを、教育関係者は問題視すべきであって、保護者からの批判への対策を講じることで、問題をすりかえてはならぬ。
その意味では、テレビ者たちの糾弾は、根本的な問題に眼を向けることを妨害している。
だから、テレビ者たちの学校批判は社会悪であるといえるのだ。

あるべきは、噛ませ犬的な糾弾コメントのあとに、冷静な分析のコメントがあり、解決策の提示がある。それがテレビのフェイズであり、それを受けて、さまざまな組織・団体から行政への働きかけがなされる。そして、現場の人たちが具体的な改善策を行えることだ。

世論や政治が表面的な批判にリソースを奪われてしまって、現場に責任が押し付けられる。それは、自衛隊ばかりではなく、教育の現場にもいえるのだと思う。



旧来のジャーナリズムの考え方で、公的機関を糾弾することに何の意味はない。批判することでジャーナリストとしての名誉が上がった時代はすでに終わっている。そのことをガ島通信さんに伝えたいが、コメント欄もないし、トラックバックも拒否されるので伝える方法はない。

真実を伝えることは、あるべき理想に現実を近づけるためだ。ならば、真実であるかないかを争って、訴訟をすることに意味はない。裏金づくり報道が目指したものは、裏金づくりをしないことではないか…。訴訟対策に頭を悩ませなければならぬ道警には、訴訟対策本部がつくられるだけで、裏金撲滅対策をつくることはできぬ。ならば、裏金撲滅に対する阻害因子になる。
ジャーナリストの私怨…。根本的には、記者に対する愛想のなさを大衆に対する愛想のなさに転化させる手法と同類だ。

オーマイニュース日本版の惨状につき、佐々木氏・ガ島氏はどう感じているのか。ことは右左の問題ではない。アクティビズムの問題である。無名氏たちが世の中にアクティブに影響を及ぼそうとするならば、意見を綴ることは得策ではない。
世の中の事象を極力客観的に描写することが最良の方策である。





追記:
教えて欲しいんですが、電力線のインターネット使用が室内に限って許可されたようです。しかし、短波への混信の問題があるから、屋外には許可されないとのこと。でも、それは嘘で、ほんとうは電話線・光通信が要らなくなるからですか?






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Last updated  2006年11月05日 21時58分56秒
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