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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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2006年10月18日
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18の病院が受け入れを拒否し、意識を失った妊婦が6時間未処置になる事件が起きた。
原因はさまざまあるらしい。
担当医の誤診。地域医療情報ネットワークの不備。地域医療の人材不足。だが、それぞれの根っこにあるのは、世の中全体が訴訟社会に向かっており、善意で何かをしたとしても、成り行きが悪ければ訴訟対象とされ、裁判に巻き込まれ、最悪の場合は賠償金を支払わなければならぬということ…。



医師の倫理は一般人よりも高きものが求められることは当然だと思うが、医師を裁くとき、一般社会と同じ尺度で行われるならば、医師になるものが減ることは勿論、医師の倫理も低下し、医療そのものが停滞することは必至だ。

たとえば、飛行機の中でお医者さんがいませんか。との機内アナウンスに応えない医師がいるという。
批判の声があがるが、当の医師としては当然のことだ。医師には専門分野があり、機内で発症してしまった乗客の病気に適切な手当てを行える可能性は低い。ましてや、医療機器もない。そのような状況で問診や触診程度のことから、初期的な処置をアドバイスすることは、野蛮な行為だ。
医師にとって野蛮な行為だとしても、素人には医療行為に映る。もし、処置が間違っていたら、訴訟されることも可能性がないとはいえない。一方、重篤な病気であれば処置のしようもないし、軽症であれば、放っておいても問題はない。
学会に移動するために飛行機に搭乗しているような優秀な医師たちがそのような計算をして、名乗り出ないのは当然のことだ。



私が繰り返し指摘するのは、訴訟社会がすすむことによって、世の中が住みにくくなるなるならば、そのための抑止策を検討しなければならない。ということ。
だが、それは司法関係者や訴訟する側・される側といった当事者には抑止策を検討することはできない。なぜなら、当事者たちがそれを行うと、自己の利益を守ること・責任回避と非難されるからだ。

ならば、市民たちがいままでとはまったく別のフェイズで対策を練ることが必要ではないか。

考えてみれば、肉親を失った悲しみが金額によって癒されるはずはない。もし、悲しみが金額によって癒されるような魂があったとしたら、それは賎なる魂だ。損害賠償は、問題を起こした組織に反省を促すためのものであって、それがその組織の存立さえも脅かすのならば、損害賠償訴訟のどこかに問題があるといえないだろうか。
死刑判決がくだっても納得しない被害者女児の両親の気持ちは当然だと思う。ならば、裁判とは何のためにあるのか。市民が訴訟案件に関わるやり方は、陪審員制度などという小手先の制度ではない気がしている。



今回の事故・事件は死ななくていい命が、医療関係の不備で失われてしまった可能性が高いといえるだろう。ならば高い確率で、このケースは訴訟となり、結果、いままで以上に医療現場を硬直させ、同様な事故・事件を誘発させていく。
そのような状況がみえている今。私たち日本社会の構成員は、事態を傍観していてよいのだろうか。



裁判などしなくても、間違っていることは間違っている。おかしいことはおかしい。
ゲーム理論(無限に繰り返されるゲームの結果はひとつの値に集束する)の実践例ともいえる2ちゃんねるでは、数日で結論がでる。

たとえば、募金夫婦も代理出産も当事者(擁護論を展開するマスコミたちも含めて)が認めないだけで、答えはすでに出ている。(プレイヤーのコメントと試合結果を混同して論じているマスコミに問題がある)
不備な点は、それをオーソライズすること。もしくは、社会全体の共通認識とすることだと思う。

永遠のベータ版ではない裁判制度。そして、多額の賠償金が社会を硬直させるならば、インターネットにおける情報共有基盤の必要性は不可欠であると考える。

募金夫婦についても、代理出産についても、冷静で論理的、合理的な結論が導き出されつつあることは、そのような場が成立することを証明している。
私は、2ちゃんねるをリゾームとして、そのオモテ盤としてバイン(葡萄の木)という概念を提出してきたが、その必要性を痛切に感じざるをえない。






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Last updated  2006年10月19日 12時15分20秒
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