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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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2006年11月07日
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文芸春秋の記事において、イチローが松井秀喜のマスコミへのリップサービスを批判していたのを憶えている。

曰く、彼ほど、日本の青少年に影響力を持つ存在ならば、マスコミサービスを専らにするのではなく、日本のこどもたちに対して有効なメッセージを発せよ。


イチローは、松井氏が少年たちのスターである責任を果たしていないと指摘している。



松井秀喜氏が文書でいじめに対する手紙を公表している。

次々と子供たちが自らの命を絶つことは、僕も我慢がなりません。いろいろな理由があるにせよ、いじめをしている人、いじめで悩んでいる人には、もう一度じっくり考えて欲しい。

あなたの周りには、あなたを心底愛している人がたくさんいるということを。それは家族であり、親戚であり、友人であり、先輩であり、後輩であり、時にはペットであるかもしれません。

人間は一人ではない。いや一人では生きてはいけないのです。だから、そういう人たちが悲しむようなことを絶対にしてはいけないと僕は考えます。相手の身になって、もう一度考えてみてください。

ニューヨーク・ヤンキース 松井秀喜             (産経新聞より)



この文章だけを読めば、誰も文句を言わぬだろう。
だが、この言葉たちの根っこには、自殺をする人が悪いという論理がある。

そして、すでにいじめが社会問題化して、数十年が経つが、管理者とともに、いじめる側・いじめられる側だけに問題を絞った対策では、何ら解決しないことが明らかな今。

松井氏の言葉は何ら意味をもたないばかりか、いじめられたこどもたちに忍従をしいるばかりな残酷な言葉である。


松井氏は体格にも優れ、いじめることはあっても、いじめられることはなかっただろう。勿論、甲子園の4連続敬遠などといういじめはあったかもしれぬが、自ら死を選ぶような性質のものではないだろう。

王貞治氏は、自らに厳しくすることが得意であったが、それを他者に強いたため、監督になってからの初期において蹉跌を経験している。松井氏も、自らに厳しくすることに得意であるが、社会や集団については理解していない。ならば、いくらマスコミにコメントを求められたりしても、軽はずみにコメントを発表すべきではない。



いじめの問題は社会の構造的な問題である。何故、いじめが社会問題化したかといえば、教育において厳罰主義がなくなったため。
その対価として、いじめが蔓延しているに過ぎない。数十年前であれば、部活動のしごきで亡くなる生徒・学生が多々報告されていた。しごきによる犠牲者がなくなった代償に、いじめが広がっているのだ。


かといって、いじめをなくすために厳罰主義に戻ることもできぬ。ではどうするか…。



過去数十年において、いじめる側、いじめられる側、そして、管理責任者にいじめ問題の責任をとらせる対策が功を奏していない現状を見れば、別の方策をとらなければ問題の解決は図れない。




朝のニュースショーを見ながら、私は娘に、「いじめが発生しているのに何もしなかったクラスメートたちがいけないし、それを改善しなければいじめはなくならない」と言った。「松井秀樹は何も分かっていないのに、あんなコメントを発表するなんて…」と批判した。

すると、小6の娘は、「ヤンキー母校に帰る」でしょ。と、こともなげに言う。
その言葉で私ははたと我に帰る。
そうだ。私が自分だけ分かったつもりになっていたけど、そうじゃない。TBSのドラマの原作者である義家氏もドラマのシナリオライターも、いじめがどうしたらなくなるか分かっている。その方法を現実に活用しない教育関係者が間違っているのだ。

「ヤンキー母校に帰る」のいじめに関するストーリーはこうだ。

加藤夏希演じる高校生は、SAYAKA演じるクラスメートをいじめる。竹之内豊演じる担任教師は、いじめの発生を悟り、いじめ撲滅に徹底的に立ち向かう。
SAYAKAはいじめる側の辛さを分かっている。夏希はSAYAKAをいじめる自分を制止することができない。そのような切実な当事者の心を竹之内は理解する。
そして、何よりも、心ならずも保身からいじめに加わったり、見て見ぬふりをするクラスメートの不誠実を徹底的に糾弾する。人間は弱いものだし、辛いこともある。だから、いじめが起きることもある。だが、まわりがそれを認めず、あるべき方向に誘えば、いじめはエスカレートしない。いじめで自殺などということはおきない。



私は夢想する。

もし、松井選手が、日本の野球少年たちに、「自分たちの学校や地域でいじめが起きていたら、率先して関わり、いじめをなくすようにしよう。野球部はそのためにあり、スポーツはそのためにある。もし、いじめを発見したら、練習をやめ、友達と語り合おう」と語りかけたら、どういうことがおきただろうかと…。




オリンピックは、国連と同様に世界平和に貢献している。
平和を求めるには、戦争を禁止する方法もあるが、世界中の人たちが友情を結ぶことでも得られる。ならば、スポーツの目標は、友情を育むことである。(昨今では、甲子園を戦ったまーくんとゆーちゃんの友情が誇らしい。)
傍らの友の悲劇を置き去りにして学生たちがスポーツをするならば、スポーツの精神にもとることになる…。




中学校や高校のコミュニティーでは、野球部員は不良グループからも一目おかれる集団である。勿論、個としての野球部員は弱い存在だから、不良グループに袋叩きにされることもあるだろう。だが、野球部という集団が、いじめ撲滅に乗り出したら、日本の学園生活はそれこそパラダイムシフト的に変わることが予想できる。

勿論、私のイメージの中にあるのは、30年前の中学校の野球部の存在である。いまは、もっとドライな形なのかもしれない。暴力事件に関わると甲子園に出場できぬからといって、すすんで災いに関わろうなどとして正義を捨ててしまっているのかもしれぬ。そして、野球部自身がいじめの舞台になっていることもあるだろうし、ヒエラルキルな関係で、厳罰主義が横行しているかもしれぬ。



だか、だとしても、日本の野球少年たちに対して、松井選手は何かを言うべきだった。

松井選手が、自殺予備軍のこどもたちを、より苦しめる言葉を投げかけることは悪であると、私は考えている。
もちろん、それはマスコミ者の懇願によってなされたものであることで、酌量の余地はあるとしても…。


追記:
ちなみに、わが娘の星座はおとめ座。フジテレビの今日の占いでは、「いつもと違う自分を見せれば彼氏への思いが通じる」とあった。
私は、娘に、「いつもと違うところを見せるなら、彼氏の前で鼻くそでもほじってみたら…」とからかった。

父親の私は、娘に片思いの彼がいるかどうかも知らないが、いたとしても、鼻くそをほじることはないだろう。
わが娘はすでに父親の言説に捉われぬ個である。

と、親ばかの私は思っている。(^^;)






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Last updated  2006年11月07日 11時47分11秒
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