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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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2006年11月23日
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…それは、ウェブ2.0の条件を満たしているかどうかだ。

ウェブ2.0の条件とはオープン(誰でも参加)・フラット(参加者のすべてが平等・情報格差がない)・マジョリティー(参加者が増えたほうが成功)である。




2ちゃんねるで話題になり、マスコミが追従し、資金があつまる。その構造はまったく同じである。
だが、銚子電鉄の批判は少なく、団体職員募金夫婦は糾弾される。その違いは次の二点である。

1.情報発信者の切実さの真実性
2.資金が公益に繋がるか。または、資金が公的援助の不備を補完するものであるか。


の2点である。

1.について。

募金夫婦は資産があり、年収も一般人よりもあり、ネットで不特定多数に資金を募る切実さは疑わしい。(フラット性のなさ:被募金者と募金者の間に情報格差がある)
銚子電鉄は、電車を修理しなければならぬという具体性があり、前経営者の横領による債務もあり、経営状態が逼迫。廃線もやむなしであるという事態に疑問の余地はない。

2.について。

募金夫婦の場合、当該幼児の生命の危機が迫っていることは確かだとしても、当該幼児だけを選択的に優遇を行うことは、社会全体として公平性を欠くことになる。ならば、公的機関が将来にわたって、資金の補填を行うことは考えにくい。
銚子電鉄の経営は行き詰っている。輸送の効率性を考えれば廃線にし、バスを運行させればいい。しかし、あのような電車が田園地帯を走る風景が日本から消えうせるのは淋しい限りだ。鉄路が失われることを惜しむのは鉄道ファンたちだけではなく、かつてあった風景の存続を願うのは、もっと広い層の人たちであろう。
健在合理主義で世の中がすすんでいくことは歯止めがきかないが、それが将来にとって幸福なことだとは限らない。
たとえば、かつて軽井沢と草津の間に、草軽鉄道という高原列車があった。あれは日本最初の総天然色映画「カルメン故郷に帰る」の撮影でも使用されたから憶えている人たちも多いかもしれぬが、もし、あの鉄道がいまでも残っていたならば、それは貴重な観光資源になっていたと思える。
もちろん、鉄道を残すことで、社会に大きな矛盾が広がるならば、問題だが、そうでないならば、社会の中のひとつの要素として、ちいさな鉄道会社が存続していくことも社会の有様として悪いことではない。

私の高校時代。川越の街は経済的な地盤沈下を起こし、歴史的な町並みだった蔵作りの商店街も存続を危ぶまれていた。だが、20年以上のときを経て、観光資源として重要な役割を川越の町に果たしている。
銚子電鉄の価値も将来どうなるか分からない。
ならば、鉄道マンたちが濡れ煎餅にかけて存続を図ろうと努力するならば、それにネット者をトリガーとして社会が協力することも微笑ましいと思えてくるのである。

2ちゃんねるを批判する人たちには、なかなか理解しずらいエピソードである。
2ちゃんねるを擁護しつづける私には、格好の材料であるが、美談の裏にあった陰謀が後に暴露されることも珍しくない。
私としては、現状を分析することに留めたいと思う。



さらに論をすすめて、バイラルマーケッティングではないものの例をふたつ。

ひとつは、TBSの番組「リンカーン」でやっていた、巨大ぺヤングをつくろうという企画。この企画のオンエア後、売上げが2割程伸びたという。

もうひとつは、のだめカンタービレに関する情報たち。クラッシックの名曲が着信メロディーとしてバカ売れしたり、番組情報がヤマハの音響製品の広告宣伝の効果をもたらしている。


これは番組の宣伝としても成り立っている関係者のブログ。ブログの作者は、N響のオーボエ奏者で、「のだめカンタービレ」のリード制作シーンを監修したという。
このブログを、天漢日記さんは、ネタバレと指摘しているのだが、おっしゃるとおり関係者ならば、情報リリース日時は厳格に守らなければならぬ。と、思う。

換言すれば、N響のオーボエ奏者である茂木大輔さんは、関係者ではなかった。だから、そこにプロモーティブな意図はない。勿論、フジテレビから監修のギャラはもらっているだろうが、公共放送傘下の演奏家でもあり、中立な立場の言論であろう。

たとえギャラをもらっていても、武術家・甲野善紀氏のように、同席したパネラーの江崎玲於奈氏の浅薄さを毅然として自らのホームページで批判する。そのような魂が信頼されるのだと思う。



口コミ・マーケッティングは、論理矛盾である。

口コミは、自然増殖的に広がっていくものであって、それが商業的に操られるならば、口コミではない。正直であることで許される類ではない。

ブロガーたちはそのようなエバンジェリストの戯言に騙されてはいけない。
バイラルマーケッティングに加担したものは、コミュニティーの構成員としての資格を剥奪されるのだ。クライアントは、個がコミュニティーから追放される対価としてギャランティーを支払っているに過ぎない。
簡単にいえば、保険会社が新人の保険外交員を求人し、保険外交員が近親者たちを保険に加入させたら、お払い箱にする。それと同じことがバイラルマーケッティングで行われているにすぎないのだ。

いま、坊農さやかとグーグルの検索欄にインプットすると、候補として、「バイラル」の語で併記される。
エージェントにとって、女子大生ブロガーなど4年限りの使い捨てである。彼女のような瑕がついてしまった個がどうなっていくのか、お手並み拝見だが、合理的な弁明をできぬ彼女の行く末は容易に予想がつく。

そして、もしバイラルであっても成立する案件があるとするならば、すべての情報がオープンになっている場合だ。


もし、バイラルマーケッティングが成立するならば、商品の形容について正直になることではなく、自らと商品の関係について正直になることだ。

銚子電鉄は、濡れ煎餅を売るに至った経緯をオープンにしている。
募金夫婦は、当該幼児の仔細は公開しているが、トリオジャパンとの関係について一切情報を開示していない。
坊農氏をしかけたエージェントは、炎上や2ちゃんねるでの批判を受けて、広報宣伝依頼を受けた旨を明示する方針を出している。それは、商品に対して正直であることが問題でないことを的確に示している。

銚子電鉄も募金夫婦も女子大生ブログも、問題になっているのは、情報の拡散にあたって切実でないものたちの思惑が関与しているかどうかである。


そのことに、マスコミ者・メディア者・エージェント者・エバンジェリスト者は、気づかなければならない。

切実であればいい。切実さがオープンであればいい。それさえあれば、マスコミもメディアもエージェントもエバンジェリストもあっていいし、なくてはならぬと、私は考えている…。



すでに、「銚子電鉄の濡れ煎餅をしかけたのは、うちの放送局ということにしてください」と懇願する放送局や、同様のムーブメントをしかけようとするエージェントがある。との噂が2ちゃんねるに躍っている。

今後、銚子電鉄も、その文脈で叩かれることがあるだろうし、後発の同様事案がバイラルマーケッティングとして仕組まれたものであり、そういうものに批判が集まる例も続発するだろう。

だが、気づいて欲しいのは、銚子電鉄がおこなったことは、ウェブ2.0なのだ。
オープン、フラット、マジョリティー。こんな明確にウェブ2.0の条件を満たした案件はない。

ネットオブザイヤーに、Mixiやイザやオーマイニュースを選ぶならば、まず、銚子電鉄を選ぶべきである。
ま、業界のステークホルダーにまみれた選考委員たちに、そんな慧眼はないとはなから絶望している私である。






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Last updated  2006年11月23日 08時13分57秒
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