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Headline News

2006年12月28日
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【インターネットの普及で、満身創痍のマスメディア】


sw20


アメリカのニュースキャスターのダン・ラザーが番組を降板すると発表したのは、2004年11月である。
ここにおいて、ネット言論の威力を日米の諸賢が確信したに違いない。
(日本での同様案件といえるのが、2006年2月の民社党・永田議員のホリエモン偽メイル事件。2006年7月の日経新聞の富田メモの検証だろう。)

2005年春、ホリエモンのニッポン放送株大量取得事件が起き、ライブドアに国民的な注目が集まる中で、私はライブドアPJに参加した。市民記者となり、1月もまたず、2ちゃんねる・はてな等でバッシング。ゴールデンウィークを過ぎた頃、市民記者のネットワークはライブドア当局から閉鎖される。市民記者同士をインテグレートするネットワークは消失し、夏を待たずして、私はライブドアPJから追放されることになる。
民主党のブロガー懇親会は、その年の11月31日である。


2006年春、GripBlogの騒動がはじまり、敬愛する湯川鶴章氏は糾弾され、M氏の擁護論陣を張る、四人組(泉氏、佐々木氏、歌田氏、R30氏)が出現した。そして、夏、オーマイニュース日本版が誕生する。

それが2006年の話である。



思えば、ネット言論とエバンジェリックなネット観の乖離は思いの他深い。


この年末。私は性懲りもなく、ウェブ進化論の梅田望夫氏との対論を試みているが、その乖離は絶望的であり、対話の余地はないのかもしれない。

また、ネット言論と既存のマス言論の乖離も深い。


佐々木俊尚氏は、いくつかの建設的な提案をオーマイニュース日本版に行っている。だが、Googleを論じるジャーナリスト氏も、かつてのメディア者であった時に身に着けた職業規範を脱ぎ去ることができず、無意味に提案をしつづけている。

ネットであろうと既存メディアであろうと、思想の右左を問うことに意味はない…。

そして、エスタブリッシュメントには、いかなる良識をもってしても、ネット言論を理解できぬらしい。


私淑する師・池田信夫先生は、2ちゃんねるに関する不見識を指摘されている。

エントリーにあるコメント「2ちゃんねると wikipedia は互いに親和性を持つ (Unknown)」は、2ちゃんねるおよびWikipediaに関する考察は重要なので、ぜひともご参照いだだきたい。

※ その後には、私に関する批判コメントもあり、楽しんでもらえるかもしれない。…ORZ



私が思うに、先生を理解に誘わない原因は、世の中の一切のステータス(権威・事実・正誤)を虚無化することへの生理的な拒絶であり、言葉を相対化することの拒否である。

おかしな物言いになるが、私のように卓袱台を引っくり返すことは、先生のアカデミズムが許さないのだ。



最近の先生は、書評にことよせて、自らの専門領域である経済学の構造的欠陥を内省的に吐露されている。

その文脈は、物理学との対比によってなされているが、その物理学さえも科学という狭まれた学問領野の中で悲鳴をあげている。
そのことを学習院大学の田崎先生の水の伝言に関するサイトに接し、それを痛切に感じた。



最近では阪大の菊池誠教授がNHKの視点・論点に出演し、問題点を指摘しているが、その言論は科学の頑迷さ・傲慢さを印象づけるものでもあり、2ちゃんねるの話題ともなった。

科学的であるかどうかは、事実が起きているかどうかとはかかわりがない。科学的でないことによって事実が起きていないとするのは非合理である。薬理におけるプラセボ効果にしても、プラセボという心理効果があることを指摘しているのであって、薬理がないから何も起きぬことを証明しているのではない。

私とて、血液型のタイプと人間の性格のタイプに、原因と結果の関係があるとは思わない。しかし、血液型のタイプと性格のタイプに類似性があり、そのタイプを参照する類似性が発見されるなら、その事実を否定する必要はないという立場だ。

日本語とタミル語、日本語とヘブライ語が似ているなら、それを否定するには及ばない。そこに有史以前の民族間の交流の歴史を探るどうかは別の話である。

妙なたとえ話になって恐縮だが、道端で手をあげたらタクシーが止まった。ここには、手を挙げる動作が原因となって、タクシーが止まるという結果になる。
だが、バス停の前に立っていて、しばらくするとバスがやってきたからといって、バス停の前に立っていることが原因で、バスがやってくることが結果ではない。バス停に人が立っていようが、いまいがバスは必ずやってくるのだから…。



大人気ないコメントを私がしているエントリーに続けて、Finalventさんはハイデガーを持ち出し、何事かを紡ぎ出そうとしている。私には、それがわざわざドイツ人の頭をつかって何かをひねり出す必要があるものか…。と、へそ曲がりの私にも思えてしまう。


ヨーロッパ近代思想の底流にあるのは、彼らヨーロッパ人たちの東洋思想への憧れである。

何もゴッホの絵の安藤広重の浮世絵の引用を見て、浮世絵の素晴らしさに感じ入る必要はない。

※ 因みに、かつての中国では、宮仕えのときは、孔孟に律せられ、余暇は老荘を嗜んだという。
フリーランスの私が老荘に魅せられるのは当然のことに思われる。


そして、何よりも彼らを窮屈にしているのは、知性や科学の他に宗教という尺度しか持たぬ不備である。そのことに気づいている輩はギリシャ哲学を引用したりもするが、その限界は見えている。

可知領域と不可知領域をセグメントとして分けてしまえば、実証できぬことなどで悩む必要はない。
それはそれ。これはこれであって、もだえ苦しむような問題はないのである。
世界観05

※ ネイチャージモン的な批判・違和感を与えることは承知しているが、私が向こう側に行ってしまっていないことを印象づけるには、この図を提出するほかない…。

※ 現代を評するについて、西欧人の哲学を引合にだすことは知性的な行為とされ、老荘思想につながる文化を持ち出すと、ブットビに感じられてしまう時代はそろそろ終わりにして欲しいものだ。

※ 甲野善紀氏も、忍術の初見良章氏も、そして、ロナウジーニョや先ごろなくなられた岸田今日子氏も、知を越えた世界を体得することで、評価されてきた…。別に珍しいことでも、難しいことでもない。









Last updated  2006年12月28日 06時16分01秒
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