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2007年03月07日
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カテゴリ:冬のソナタ


ホ監督が、「冬のソナタ」とまったく違う演出法で、BYJ氏を導いたことに気づくことは、「四月の雪」を鑑賞するうえで重要である。
そして、そういう作品の中で、BYJが輝いたことも事実である。

だが、私にはどうしてもぬぐえぬ瑕があると感じている。



私の修行時代。ある劇団の人たちと付き合う時期があった。

当時接していた人たちの何人かは、テレビドラマの性格俳優として活躍されている。ゴールデンタイムのドラマにおいて、「美味でごじゃりまする…」と絶叫していた女優氏も、その中の一人である。

私は、ミュージカルやストレートプレイの稽古で彼らと接するなかで、役者の生理について体得してきたと思う。
そのような体験を通じて何を思うかといえば、稽古場でできる役者が必ずしも本番の舞台にて輝いているとは限らないこと。

そして、役者にとって一番難しいことは、素のままで舞台に立つことである。
役になりきることは、素の自分を捨てることであるが、それがなかなかできないのだ。



さてその頃の話だから、20年ほど昔のことになる。その劇団の公演があったので、私に見に行った。
その劇のディテイルは忘れてしまったが、ブルジョワジーの色模様を面白おかしく綴ったお芝居だったと思う。

そのお芝居の中にお金持ちの奥様が登場する。メインのキャラクターではないが、主人公は、その奥方の目を盗んで情事を楽しむスリルに、この作品のドラマの魅力がある。

私は、その役を演ずる女優と一緒に稽古をしていた(俳優としてではなく、制作助手として…)。たいして演技力を持っているのではないが、作品によって彼女の生理がいかに変わっていくのか。そんなことを期待しながら見ていた。
そして、彼女を見ていて気づいたのは、彼女が左手の薬指ではないところに指輪をしていたことである。

芸能記者が常に女性若手芸能人の左手の指輪の存在に注意を凝らしているように、指輪は単にアクセサリーという意味を超えた結婚のシンボルでもある。
舞台上のキャラクターにとってもそれは同様であり、指輪の意味を感じた上で演技をしなければならぬというものだ。

私は、左手の指輪にない指輪から、自分なりのストーリーをイメージして、舞台終盤のどんでん返しを楽しみに待っていた。だが、その期待は無残にも裏切られた。
その新人女優は、舞台に立つという人生の檜舞台において、役になりきることよりも、「私は独身女優よ」と主張することを選んだのである。



ここまで書いてしまえば、「四月の雪」において、私が指摘するBYJの演技に瑕がどのようなものであるか、すでに気づいる方も多いだろう。BYJ氏のあの指輪である。

それはまず、BYJの恋愛パターンの定番である、ヒロインを歩かせて求愛するシーンにある。
バス停に迎えに行くBYJの姿に、彼の「やる気」をかんじた人は多いだろう。
それに続くシーンでのことだ。劇場公開版でカットされているシーンであるが、BYJは、セックスを暗示する艶笑小噺を披露するときに、指輪をとるようなしぐさを見せる。(ディレクターズ版のみ)だが、そのしぐさの後でも、指輪は彼の指にはまっている…。

そして、病院で手前に植物状態の妻をすえたカットでも、指輪を外すようなしぐさを見せる。
だが、映画館で結ばれた手と手に指輪は存在する。(ディレクターズ版のみ)

BYJの指輪は結婚指輪ではなく、カレッジリングのようなものかもしれぬ。だが、指輪が結婚のシンボルであることは間違いないし、インスの感情が変わっていく重要なシーンにその芝居を盛り込んでいくならば、鑑賞者に誤解を与えても仕方の無いことである。

事実、私は、そのように誤読してしまったし、しぐさがしぐさでしかなく、実際に指輪がはずされてなかったことに気づかされたとき、私は唖然としてしまったのである。



考えてみれば、現代の俳優は辛いものである。

ハンフリー・ボガードであれば、少し深めにシガレットを指に挟むことで、空白の間を埋めることができた。
だが、タバコという小道具を奪われた今、演技者の動作の素を埋めることはなかなか難しいのである。



けれども、私はBYJ氏を責める気にはならない。
彼は犠牲者なのだ。

それは、BYJ氏の写真集を眺めてみれば、分かる…。

彼は微笑の貴公子と呼ばれているが、それは、彼が、微笑みを強いられた俳優であることしか表現していない。

音楽愛好家であれば、かなり高価で価値が高いと思われるアンティークな蓄音機を枕にして笑うことなとありえない。
そのことを聡明なBYJ氏本人が気づかぬはずもなし…。

私は、彼の悲劇を思ってやまないのである。





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Last updated  2007年03月07日 20時08分12秒
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