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カテゴリ:「テレビウォッチ」
と、繰り返し述べている。 メディアとは、何も、放送・印刷メディアに限らない。 会社も企業も学校も団体も社会も、場(媒体)がイメージできるコミュニティーなら、すべてメディアである。 ☆ メディアが喪失する危機感を、すべてのエスタブリッシュは感じているから、さまざまなジャンルのエスタブリッシュメントは徒党を組み、メディアの時代が終わることに抵抗している。 それが、2007年春に起きていることである。 ☆ そして、、究極の言い方をすれば、過去の私さえ、エスタブリッシュメントである。 私は、極東ブログにおいて、自分のブログのエントリー数を誇り、内容を誇った。これこそが、エスタブリッシュの所作であり、誇るべきことではなく、それは、恥ずべきことである。 ☆ ご理解いただいているだろうか…。 妙なたとえ話を許していただければ、芥川賞作家は、元芥川賞作家でしかないが、ボクシングの世界チャンピオンは、防衛戦に勝利をつづけている限り、世界チャンピオンなのだ。 元芥川賞作家でしかないものを、芥川賞作家などと嵩上げして評価していることが、誠実ではないのである。 たとえば、宮崎駿氏の映画がある。たしかに、「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」はすばらしかった。とはいえ、それがすべての宮崎作品が素晴らしいということにはならぬのは、誰もが認めることだろう。 ましてや、ご子息の映画の価値の評価は勿論、ご子息が巨額をかけた作品の指揮を執る実力を持ち合わせているかどうかについては、父上の栄光は何も語っていない。 ひどい言い方をすれば、すべては便乗商法にすぎないのである。 ☆ 昨日、録画しておいた「オーラの泉」の佐渡裕氏(指揮者)の登場回を観た。 佐渡裕氏を私が尊敬を持って見上げるのは、吹奏楽コンクールにおいて、審査員から、「審査不能」との講評を頂戴するほど、闘ったからである。 日本の学生たちの一割ほどが、吹奏楽をやっているというのに、その社会的な影響力の低さは異常である。 その理由のひとつは、吹奏楽コンクールの主宰者たちが、蛸壺的なコミュニティーをつくって、クラッシック音楽のメインストリームに背を向けているからである。 吹奏楽コンクールの演奏会は、テレビで放送されることもなく、著名な音楽家たちが審査員になることもない。 結果、訳の分からぬ状況の中で、軍隊的な指導者が登場し、こどもたちに君臨する。 また、テンポルバートのクラッシック音楽と、ビート音楽であるジャズやポピュラーミュージックが混同されたまま、誰も恥じることがない。 指揮者のタクトにしたがって、ドラマーがドラムセットを操るなどという可笑しな風景が、早く日本から消えうせて欲しいものだ。 このような状況が、一刻も早く解消されることで、イギリスのような吹奏楽とクラッシック音楽がシームレスでつながっているように状況になって欲しいものである。 ☆ 番組の終盤、江原氏は、次のように述べていた。
江原氏が指摘するのは、 ・権威の崩壊 ・確かな個の価値観を持て ということ。 それこそ、まさに、私が論じつづけている以下と等価である。
☆ 最近、週一回のペースで、我が家に仕事でやってくる人は、ドイツの哲学者・シュタイナーの愛読者である。 彼は、私がかつて書いた「先祖供養とスピリチュアリズム」という本を読んでくれた。曰く、「とても興味深い…」。シュタイナー者である彼にとって、私たち夫婦の先祖供養に関わるスピリチュアルな体験は、当然のことと受け取られたのだろう。 12年前に書いた落選原稿の470枚には、「あなたの知らない世界」で知られる新倉イワオ氏をはじめとし、何人か有名学者、スピリチュアルな世界の有名人も登場する、その原稿が何時の日か、日の目を見ることを願っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年03月30日 09時12分53秒
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