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カテゴリ:「ジャーナリズム関連(既存・市民)」
朝日新聞のことを世界のクオリティーペーパーと評する人たちがいるという。 だが、ベルリンの壁が崩壊した以降、左翼言論が品質を保証するのだろうか。 出版人の花田氏は、「いま頭のいい人は、保守を語る」と言って憚らない。 いま、リベラルという語は輝いているのだろうか。 何に対してリベラルという問題はあるが、民主党の形勢を見ていると、リベラルなどというひとつの言葉で輝いていられるような時代はすでに終焉している…。 そもそも、民主主義の時代において、右左(x軸)・上下(y軸)・前後(z軸)など、すべての視点は偏差でしかなく、もし、民主主義を心底貫いていくならば、そのような偏差を解消し、とことん原点(0座標)をめざしていく。 そのようなことが今後のメディアは求められているのではないだろうか…。 ☆ さて、問題は、対話である。 一番の問題は対話である。 湯川氏も、これからのジャーナリズムに求められることは、対話の継続であると指摘する。 …だが、それができぬ。 絶望的にできぬ。
これが、2007年に、ネットと新聞に関わって起きていることのすべてである。 何故、このようなことがおきてしまっているのか。 その理由は、簡単。 新聞人たちが、ネットの特徴を理解していないからである。 ぐどいかもしれぬが再度指摘する。ネットの特徴は次のふたつ。
新聞人たちが、それぞれのステークホルダーに縛られて、それらを理解できぬのは仕方のないこと。 しかし、ステークホルダーに縛られて、それらが理解できぬ自分達を嘆くことはできる。 そこからしか、新しい何かを生まれてこないと、私は思っている。 ☆
☆ …ということで、新聞人の皆様とお会いできることを楽しみにしております。 ご立腹の段ありましたら、切にお詫びもうしあげます。 また、御互いの気づきの中から、有効な議論が沸き起こることを期待しております。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年04月02日 06時12分20秒
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