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カテゴリ:「ジャーナリズム関連(既存・市民)」
インターネットの普及によって、情報の価値を司る基準が変わってきていることに私たちは気づかなければならぬ。
結論をはじめに言ってしまえば、
☆ 2007年春、何が顕著になっているかといえば、ネット情報の既存メディアへの拡散である。 新聞も、テレビも、役所も、こぞってネット言論を引用し始めた。 思えば、2006年は、既存メディアが恥ずかしげもなく、ネット情報の引用を始めた年だった。 そのきっかけは、言うまでもなく、「きっこの日記」関連のマンション偽装疑惑事件・所謂アネハ事件である。 「きっこの日記」の背後に、テレビコメンテーター氏と民主党の影があるというのは、極めて示唆的だ。 数日前、きっこの日記が、石原慎太郎批判記事を削除したのは、かのサイトの発信者の中に民主党関係者がいることの、明確な暗示である。 彼らの恣意的な言論は、既存メディアのジャーナリズムとは相容れない。だから、彼らは、裏メディアとして、「きっこの日記」をつくって言論をはじめたのである。 とはいえ、「きっこの日記」の存在だけで、単なる個人ブログが影響力を行使できたのではない。 情報のインテグレーターとして、2ちゃんねるの存在を無視できない。 ☆ 2ちゃんねる。特に、2NNは検索サイトではない。情報のインテグレーターである。 情報の重要度の勘案を、2ちゃんねらーという明確な主観者によって定義しているのだ。 主観の度合いは、テクノラティーなどとは比べようもない。 そして、思想的な求心力を持って、できあがったものでない2ちゃんねるが、極めて明確な思想的な立場を持っていることを、我々は、深刻に受け止めなければならない。 2ちゃんねるに固有な思想的立場を感じるということは、既存のメディアがある種のバイアスを持っていることと等価である。 つまり、2ちゃんねるの座標ゼロと既存メディアの座標ゼロが乖離しているということ…。 ☆ さて、2007年は、アルファブロガーやエバンジェリストたちが、ブログから撤退する時期らしい。そのときこそ、真のブログの普及の年である。 つまり、手段追求的ブログの利用者が去り、目的追求型ブロガーが増えるのである。 思えば、商売のために、ブログを書いてきた芸能人・有名人たちが炎上を繰り返していた。 さしたる目的もなく、ブログを書く無名氏たちが、傷ついてきた。 そういう時代が終わるのである。 私のように、伝えたいことがあれば、どのような摩擦があろうと、書くことはやめぬ。 経済的な裏づけがあれば、それにこしたことはないが、それが得られぬとしても、私がやりたいのは、娘の世代のために、世の中を少しでも理想に近づけることであり、それができぬとしても、それができなかったと自信を持って嘆くことだから、私のブログ活動が徒労に終わろうとも、それでいい。そして、ある意味、徒労に終わることが、私が厄介なことに巻き込まれぬことでもあるからして、暗にそれを望んでいるともいえないでもない…。(^^;) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年04月07日 13時20分23秒
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