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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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Headline News

2007年04月07日
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私は、ジャーナリズムを、民主主義の代議制をささえる重要な機能であると定義している。

つまり、代議制は代議員の選挙によって営まれるが、それは間歇的に行なわれる。したがって、選挙があるたびに、大きな変化が強いられることになる。
社会にとって、変化はなるべく小さいものが連続的に行なわれることが望ましいのであって、そのために機能するのが、世論である。

新聞が世論を為政者たちに伝える役割をしてきたことは改めて指摘する必要はない。

為政者たちが世論を常にリファレンスすることができれば、世の中は連続的に変化していけるし、為政者たちの専横を常に抑止することができる…。


ならば、新聞人はいかに巷間に散らばっている現実の端々はしから、世論を抽出・形成することを主活動とすべきであって、デンノッホなどと自説を主張することは、あるべき姿ではないと考える。

デンノッホとゴネルことは、自らを社会の第三者(異分子・非構成員)として認めることであって、褒めた話ではない。
勿論、彼の心の中には、輝かしい理想やこうあるべきという理念があるのだろうが、それはあくまで言論人としての個のものであって、それが公器である新聞を使って提示されることは、新聞の存在価値を根本的に貶める。






根本的にいえば、次のようになる。


言論人の価値は、世論との乖離によって決定する。

つまり、xy座標において、原点0を世論とすれば、原点との偏差が大きい方が、言論人としての価値観を有するのである。言論人の座標と原点がつくる線分が、言論の価値・ボリュームとなる。

一方、インターネットが直接民主主義を可能にした時代の新聞人があるべき姿は、メディア人としての個の文脈を離れて、世論を追求することである。

それは、新聞人が原点0を目指すことであり、言論人と真逆の行動規範となる。



原点(世論)との乖離・偏差・Deviationを誇る言論人は、無限にそれを求めるとコミュニティーの非構成員になってしまう。よって、あまりに言論を主張することは、自らの言論を貶めることにもなり、一定のバランス感覚が働くというご都合主義なものである。

一方の原点(世論)を追求する新聞人の営みは、限りがない。

新聞人は、Deviation Zeroを目指せ。


原点を追求すればするほど、その縮尺は拡大し、原点追及の精度も上がっていく。
そのようなあくなき探求が、これからの新聞人には求められているのだと確信する。





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Last updated  2007年04月07日 13時34分33秒
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