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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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2007年04月14日
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「Googleの次がは分からない…」という議論は、私が接したものばかりではなく、この世界中に溢れているだろう。

だが、Googleの欠点は、多くの識者が指摘できるはず。ならば、Googleの時代も10年を待たずに、終わりを遂げるというのが、私の考えである。



グーグルのやっていることは、情報を量的に解析することでしかない。


先のエントリーで指摘したように、量を求める時代が成熟すると、質を求める時代になる。

質を求める時代になると、コミュニティーが細分化されていく。
つまり、大衆の時代の次に、分衆の時代がやってくるということだ。

コミュニティーが細分化されるということは、全体集合の中に、多数・無数の部分集合ができあがることになる。

そういう部分集合たるコミュニティーのいくつかは、オープンであったり、そのいくつかはクローズドであったする。

クローズドといっても、完全に外界と隔絶したコミュニティーではない。

それは、MIXIとて、新会員が登録できること。引きこもりの青年が、社会と断絶しているといっても、両親を通じて社会とつながっていること。テレビゲームやご飯を食べることで社会とつながっていること。
カルト集団のオウム真理教にしても、社会の加害者になることで社会とつながっていること…。

などと等価だ。

だが、そのような繋がりを実感できぬから、そのようなクローズドなコミュニティーを越えて、コミュニケーションの基点としての個を重要視する時代がくる。

そのようにして訪れるのが、個の時代ともにいえる。



個の時代などという乱暴な論理に騙されてはいけない。

私は、自らの正義感に従って、横丁の雷オヤジを演じたことがあるが、地域社会から1年近く白眼視された…。

ORZ

私の痛恨事をひくまでもなく、
個をとりまくコミュニティーというのは、存在しているし、それらとの対話を粘り強く行なわなければ、個は敗れ去るという運命にある。


個の時代がやってきたといっても、それをとりまく小規模コミュニティー、中規模コミュニティー、大規模コミュニティーがなくなったわけではない。



それが重要である。



Googleの限界は、実はそこにある。

Googleは、SNS的なものを捨象して、情報を扱っている。

つまり、自他の境界領域が、個の肉体の内外という素朴な考えでいる。



母親は、自分の境界領域の内側に自分のこどもをとらえているという分析はよく行なわれる。

殺人事件などにしても、自己の境界領域が混乱して、他者を殺してしまう場合が少なくない。つまり、自分の内側と認識していた人間に、自分の思いとは別の行動をされ、裏切られたと感じ、衝動的に攻撃してしまうのだ。

小規模コミュニティーの内側と外側では、ステークホルダーが異なるから、「正義」の意味も異なる。



たとえば、メイカーという小規模コミュニティーを想定してみよう。

商品の販売価格を高く設定することは、そのコミュニティーにとって正義・善(コミュニティー構成員の民意を反映した)である。

だが、コミュニティーの外(消費者・現実・リアル)では、商品の販売価格が低いことが正義・善(コミュニティー構成員の民意を反映した)である。

コミュニティーが成立することは、ある意味、外があることである。

結果、コミュニティー内の正義が、消費者という外圧に耐え切れず、メイカーが設定する販売価格がある程度抑えられるのである。

それでも尚、彼らは理想・正義を捨てきれないから、「メーカー希望価格」などといううめき声をあげるのである。



Googleがかかえる最大の問題は、SEO(検索エンジン最適化)コンサル業者対策であることはいうまでもない。

Googleは、情報の価値に即したランキングを提出しようと努力するが、SEOコンサル会社は、情報の価値を水増ししようとする。


NHK特集のGoogleを扱った番組では、「影響力を行使できるのは、グーグルでBest5までにリストアップされる情報であり、Best10以上はネット上に存在しないに等しい」とまで断じていた。

だが、

Google make the Best 5 list only by Quantity.


に過ぎぬのです。



思えば、そのようなものとつき合わされているSEOコンサル業者も悲しい存在だ。

つまり、SEOコンサル業者は、担当する企業が形成しているSNSの構成員なのである。ならば、そのコミュニティーの論理・正義で事を成すのは当然のことだ。

問題は、そのような小規模コミュニティー、中規模コミュニティーを想定しないGoogleのシステムであって、それに誠実に対応する、SEOコンサル業者を責めるのは、実利的ではないと考える。



Googleが作ったシステムによって、SEOコンサル業者は、いたちごっこ的な不毛な業務に巻き込まれてしまったのである。
勿論、仕事があるから、利益もあがる。つまり、一切のコミュニティーを想定しないGoogleがSEOコンサル業という新しい職種をつくったともいえる。

だが、それは、過渡的な状況で必要に迫られて成立しているものに過ぎない。



いま、Googleで一番重要なのは、複数ワード検索だ。

この世界こそ、明確なSNSを感じさせる世界である。

たとえば、「アンネの日記」とググッてみる。

関連(複数)検索の候補には、次のようにある。

アンネの日記 感想文

アンネの日記 映画

アンネの日記 ボールペン

アンネの日記 偽造

アンネの日記 完全版

アンネの日記 あらすじ

アンネの日記 内容

アンネの日記 嘘


ユダヤ問題に第三者である私は、「アンネの日記とは、居住民を放逐してイスラエルを建国したユダヤ人に対する世界中の批判を抑えるための、言論誘導のツール」だと思っている。
オリジナルのドキュメントの存在は否定しないが、一切の加工・演出がなされなかったと考えるのは不自然だろう。

そのような私は、
「アンネの日記 ボールペン」 「アンネの日記 偽造」「アンネの日記 嘘」という情報に価値を見出すコミュニティーに属している。

一方で、「アンネの日記 感想文」「アンネの日記 映画」「アンネの日記 完全版」「アンネの日記 あらすじ」という情報に価値を見出すコミュニティーもある。

現時点では、後者の方が多数派であり、前者は少数派だろう。

そして、単に少数派・多数派ということではなく、この二つのコミュニティーの言論は対立しており、一触触発の危険を孕んでいる。

だから、Googleはその火種に油を注ぐことはしない。



だが、そのようなことでは、有効な言論提出はできぬのである。

新聞が、馬券における馬単の一点買いをして、土壺にはまっている。
だが、ネット言論が同じ轍を踏む必要はない。

ネット言論のインテグレーターは、堂々と、「複式の馬券で二点買い、三点買い」をすればいいのだ。



つまり、「アンネの日記」というひとつの単語で行なわれるグーグル検索は、一点買いである。
それは、正誤の勘案を逃れられない。
※これは、Wikipediaも同じ通弊にある。

一方、「アンネの日記 ボールペン」というのは、複式馬券である。
私は競馬には詳しくないが、メタファーにした馬枠では、帽子やコスチュームが違うのだろうか…。
検索の世界では、言論をよりフォーカスすることになるだろう。

そして、「アンネの日記 ボールペン」コミュニティーと、「アンネの日記 あらすじ」コミュニティーがひとつの検索結果画面に登場する。
それこそが、私がイメージする、インテグレートされた検索エンジンである。



まとめよう。(なんかtxの日高レポート風…)

Google検索の最大の瑕は、コミュニティーの想定しなかったこと。

Googleの思想の最大の欠点は、世の中に複数の正義が存在することをイメージしていないこと。


である。

そして、何故そうなったのかといえば、

Googleは、Best 5 by Quantity メイカーに過ぎぬから…。


調査対象を量的に勘案するだけならば、それはプロモーターたちの餌食になってしまう。
それは、ジャーナリストに事実を指摘され、断末魔の叫びを上げるオリコンとイメージすればよい。

では、今後の検索がどうなればいいのか。
または、Googleの今後をどうすればいのか。

それは、


Googleは、Best 5 by Quarity(質)にup grade 昇華すべきである。


ということになる。

主観的なインテグレートを一点買いすれば、摩擦・衝突は起こる。
だが、複数な対立するコミュニティー言論を並置すれば、摩擦・衝突は顕在化し、言論は時を経て、あるべき集束をするに違いないと考える。



一点買いをするものは、負けるリスクが高い。

そして、対話を拒むものは、真実性が疑わしい(アフリカの叡智:真実和解委員会)。

ここまで論じてきた私は、もはや梅田望夫氏のことを語る気持ちにはならない…。


07sponta





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Last updated  2007年04月16日 09時15分33秒
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