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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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2007年04月24日
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すでに、私は、「グーグルが死に体」という言論を発している。

先のエントリーに対して、ひさしぶりにトラックバックをしていただいた。

素直に嬉しい。

ほんとうにありがとうございます。



とはいえ、私の文章の書き方がまずいのか、もしくは、私の中では、いままでのブログの文脈があるのだが、読者の方はそうではないので、そのあたりの齟齬があり…。

ということで、LUFT2501さんと私の意見を対照させていただきたい。

少し上にもあるように Google の検索精度はその Google 独自の PageRank 理論によるわけなんですが、普段われわれが利用している検索エンジンというのはそのアルゴリズムを理解して運用している「機械」で、その機械自体と機械の操縦者は特に何かの言論を世の中に提出しようしているわけではないんですね。(LUFT2501さん)


それはそうですね。

しかし、機械が運転されている以上、なんらかの結果を出してしまう。

グーグルが、そういう恣意的な作業をしていなくても、無意識のうちにそういう思念が運営に加わることはありうる…。

それが真正でないなら、「そんなつもりはなかったの…」「わざとじゃないから、許してね」などという言い訳を効かぬのが、ビジネスの世界。

確かさ100%など、そもそもありえないのだし…。

*

検索結果が、SEO業者にとっては都合の悪いものであれば、彼らは、グーグルが恣意的行動を行なったと訴える。
そして、グーグルの悪性を認めたうえで、SEOに秘策を練る。

結局のところ、SEO業者が過大評価を望んでいるのか、それとも、適正評価を望んでいるのかは、当事者には判断のできぬマターでしかない。

なんて思うのです。

*

もし、そのような批判から逃れたいならば、グーグルはアルゴリズムを公開すればいいし、セキュリティー費用をかける必要もない。

それが公共財としての使命だし、株式会社にもとめられる透明性に従う行為のひとつだと思っています。


アルゴリズム、などという言葉は多少なりとも理系のたしなみのある人間以外はそうそう使うものではありません。ましてその内容を理解して有効なツッコミを入れられるひととなればごくごく少数です。つまり、アルゴリズムなんて open でも closed でも内容をちゃんと理解できる人間はいつまでたっても少数派だろうと思うんです。(LUFT2501さん)


リナックスのオープンソース。世界中にソースコードを理解する人がどれほどいるのでしょうか。
リナックスユーザーは、ソースコードを読み取り、そこに不正がないと判断して、マイクロソフトから離れていったのではない。
彼らは、オープンであるという誠実性と日常的に行なわれる進化に期待したのです。

それは、アルゴリズムに関しても同じ。

…そんなことを思っています。

*

だが、現実には、SEO業者が不正をしていることを、社会的批判に昇華させることができず、グーグル八分批判が起きている。

そうした社会的批判を払拭できる唯一の手段が、オープン化。

それができないのなら、グーグルには、後ろめたいところがあるのです。



検索エンジンにおける Quantity は Quality の判定の近似値になっており、
サンプル数を増やせば増やすほど、その近似精度は上がる。(LUFT2501さん)


アルゴリズムを勘案しなければ、サンプリング検体が増えることは、結果がボピュリズムに陥るという弊害を持っている。
それは、全数検査をした場合に如実に現れる。

*

読んでいらっしゃらないのかもしれませんが、私はすでにブログで次のように書いています。

特殊相対性理論を理解できる人が世界に5人。なのに、アインシュタインはノーベル賞を受賞した。これは、ノーベル賞選考のアルゴリズムが、ボピュリズムを排するシステムを採用していたからです。


量的勘案はボピュリズムに過ぎず、質的勘案は多様な評価軸を要するから、結果はひとつになっていかぬ。

そのようなダイバーシティー(多様性・主観の多様性)があることを検索エンジンは明確にしなければ、ユーザーは妄信するしかないというのが、現状です。



→中身のことはよくわかんないけどとりあえず Google とかその他いまある検索エンジンでよくね? という結論。(LUFT2501さん)



湯川さんは、ファイアーフォックスを使っていて、検索項目によって、グーグルとテクノラティー、ニューシングを使い分けていると日常を語っています。

そのように検索エンジンごとのアルゴリズムのバイアスがあり、それを賢明な使用者は感じ、選択しているのです。

そういう状況が、今後は、もっと明確になっていくのではないでしょうか。

そのような状況からいえば、総合的な評価を得てしまい、「のっぺらぼう」な存在を強いられているグーグルは、大衆には対応できるものの、分衆には対応できぬ。

それが、私が「グーグルはすでに死に体」と論ずる理由です。

*

私は広告をノイズだと思っていませんし、利益活動を悪だと思っていません。しかし、世の中の多くの人は、広告をノイズと考えたり、利益活動を強欲と感じたりする。そのような後ろめたさの中で、不正な行為(第三者が納得できない行為)が生じるのです。

これからのネット者は、そのような批判にさらされながらも、自らを閉じることなく、根気強い対話をつづけながら、自己改革をすすめることが必要であり、そのためには、オープンという概念が必要なのです。



私は、ウェブ2.0が煽っている個のクリエイティビティーパッション(創造的欲求)について、疑問視しています。

多くの人たちにとっての発信力とは、何かをオリジナルを作る発信力ではなく、自分が欲しいものを伝える発信力だと感じています。

それは食欲に関してみれば理解できるかもしれません。

*

おいしい料理をつくることなど、30/100人にしかできぬ。でも、おいしい料理を注文できる人は、100/100の人ができる。否、フランス料理店では、50/100ぐらいかもしれません。

自分でオリジナルな何かを作ることでもなく、オリジナルに加工を加えることでもない。

万人に存在する個の創造的欲求は、「自分が欲しいもの・したいことを伝えること」でしかない。


それが、2007年に言われている創造的欲求の現状であり、そのあたりについては、湯川さんと意見を異にする部分。

果たして「爆発など」しているのだろうか。

たしかに欲望は爆発しているが、それは欲望顕示でしかなく、創造的欲望はその中に存在するにしても、ほんのひとかけらでしかない…。






ありがとうございました。

LUFT2501さんとの言論を対照することを主眼に言論を展開したつもりですが、読み返してみると、反発心がテキストの中に混じっていることを否定できません。ならば、それを払拭するような書き方をすればいいのかもしれませんが、それもまたそれで、奥歯に物のはさまった言い方になってしまう…。

このような書き方しかできませんでした。LUFT2501さんには心よりお詫びもうしあげます。
もうしわけありませんでした。

あなたは、書き進めることによって私の言論がフォーカスされていったことを評価してくださっています。
今回は、あなたのブログの記述によって、私に大いなる気づきがあり、このエントリーになったことを感謝いたします。

お互いの言論の乖離が参照されることによって、お互いがアウフヘーベンできれば、素晴らしいことだと思っております。

本当にありがとうございました。

07sponta


追記:

私はグーグルの無力化を目論んで言論しているのではありません。

オープン・アルゴリズム検索エンジンの登場を願って書いているのです。

誤解のないように、よろしく、ご理解いただきたいと存じます。





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Last updated  2007年04月24日 09時59分00秒
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