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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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Headline News

2007年04月30日
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【タイトル】
「ネットは新聞に何を突きつけているか」

【日時・場所】
5月25日(金)13:30開始。
(受付は13:15~)

第一部は日本教育会館8階第二会議室17:00まで
第二部は同会館9階「キザン」17:30開始。

第一部は一般参加OK。
参加費:500円
当日、直接ご来場下さい。
100名様までご来場頂けます。
満席の場合はご容赦願います。




私のブログウォッチャーであるけろやん氏が言及してくれている

彼の指摘は、うっすらとした懸念ということだろう。

ネットで自由闊達に言論していたが、リアルな場ではリアル属性(有名になりたい病・発言したい病・周囲への気遣い)によって、予定調和な生ぬるい論者にならぬか…。

彼の予想はまったくもって当然のことである。

だが、そうなのか…。

しばらく考えた後、次のようにコメントした。





今回のイベントがメインストリートかどうかは分からないけれど、リアルな不特定な客席を相手に発言することは、たしか、川越高校吹奏楽部の定期演奏会の司会以来である。

さて、新聞人たちの評だが、巷間のものとはかなり違っている感じ。ましてや、今回はその労働組合のもの。

ステークホルダーを逃れれば、極めて内省的で自省的。

イベントの担当者は、A社の方なんだけど、社内の書店には、新聞&メディア終末本コーナーがあって、けっこうな人気なそうである。

私がプリントアウトしたブログの内容を打ち合わせで提示し、「私の言論の中に、イベントでの禁忌用件は無いですか?」と尋ねたら、問題はないです。と、仰り、内容についても、諾という感じだった。

勿論、初対面だったので、反論は控えられたのだろうが…。

ま、そんな感じ。

よかったら来てください。珍獣・生スポンタを見れます。
(^o^)


さまざまなリアルデビューがあったのかもしれぬが、日本新聞労働組合連合という新聞人の全国組織のイベントというのは感慨深い。

既存メディアとして新聞は本丸であり、その本丸に属する人たちと語り合えることの意義。
そして、労働組合という現在の新聞の運営・編集とは微妙な立場にある人たちとの言論交換ができることは、まさに天の配在ともいえるのではないでしょうか。


【そして、出演陣の面々を眺めるに、ネットと新聞という対立軸に群がり集う心が透けて見えてしまう*1(just主観的な印象批評とのこと)。それは、薄められた劇薬が載せられた円卓を囲む中世の絵画を私の脳裡に想起させる。(けろやん氏のエントリーより)】

との指摘。

きっと、生ぬるい新聞批判(薄められた劇薬)を和やかに語るだけの会を想定してのことか…。


彼が指摘するようなそんな絵画は見つからなかったが、破滅的な未来を前に、なす術を提示できなかった、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のような風景かもしれぬ…。

bansan




それとも、レンブラントが描く、ギルドの集団像か…。

レンブラント
※ メディアの死を見つめる新聞人たちの姿をメタファーしている…。



でも、きっとそのようにはならないと思うな。

*

歌川先生は、極めて内省的に新聞を見つめていらっしゃる。
だから、「新聞がなくなる日」を書かれた。
先生に会うまでの私は、「日本の新聞は、言論の希釈作用のために誕生したのではないか」と、噛み付こうと思っていた。
だが、先生は、そんなことは先刻ご承知で、私の言論以上の具体性と明晰さを持って、極めて朗らかな語り口で、自分の出身新聞の誕生間際の欺瞞について明らかにされる。

湯川さんは、新聞の危機を危うんで、「ネットは新聞を殺すのか」を書いた。
アメリカの現地採用から東京本社の正社員になった湯川氏も、風貌も口当たりも柔らかいが、その内実はかなりの硬骨漢…。

その二人がツートップ・ダブルボランチになって、シンポジウムをすすめていく…。

*

パネルディスカッションというのは、基本的に参加者の内的葛藤を舞台上に顕在化するためにパネラーが存在するのであって、参加者の内面と無関係な利益代表たちが出てきて議論するものではないと思う。

私が、オーマイニュース日本版の誕生とほとんど同時に早稲田大学で行なわれたシンポジウムに参加しなかったのは、パネラーの選択にそういう不備が感じられたから。
私が、一般参加者に混じって質問をしたり、ヤジをいっても、会場を気まずい雰囲気にするだけで、有効な議論にはなっていかない。

そのことをわたしは、すでに嫌というほど経験している。

・MSNのイベントでのオ・ヨンホ氏への質問

・ダンギルモア氏のイベント

・ライブドアPJのさまざまなミーティング

・JANJANの市民記者交流会

唯一、JANJANの市民記者交流会では、パネルディスカッションに2ちゃんねるの西村博之氏がキャスティングされていたので、有意義な会となった。とはいえ、このネット時代に、2ちゃんねるの悪評を知るばかりで、2ちゃんねるを知らぬことを恥ずかしげも無く語るパネラーたちのプライドの有様には驚かされた…。

ステークホルダーにまみれた政府がらみの公聴会ではないのだから、対立軸の両極にあるパネラーを据えなければディスカッションの価値はない。

*

最近のことであるが、私が、第4回ICPFシンポジウム「参加型メディアの可能性」という私の研究領野に近いシンポジウムに参加しなかったのも、必ずしも参加費が5000円だったということにはならない。

ブロガー討論会「日本のブログはこれでいいのか」
  磯崎哲也(磯崎哲也事務所 代表)
  小飼弾(オープンソース・プログラマー)
  佐々木俊尚(ジャーナリスト)
  原淳二郎(ICPF理事)
  司会:池田信夫(ICPF事務局長)


日本のブログを語る討論に、一般のブロガーが一人もいない。
これでは討論のレベルは知れている…。

一般のブロガーとは、IT業界関係者でなく、エスタブリッシュでないこと。
勿論、彼らが一般の意見を語ればそれでいいのかもしれぬが、彼らが、そのようなことをするとは思えない…。

ユーザーに直接サンプリングできるインターネットの時代に、業界関係者だけで集って語ること、ユーザー不在の言論に何の合理性も、説得力もない。

*

かつて、永六輔氏のラジオ番組に出てきた「別れのサンバ」で知られる盲目の歌手・長谷川きよし氏が、盲人用のお札の機能に触れ、私たちが使うのに、私たちには何の相談もありませんでした。と、語っていたのを憶えている。

お役所ならまだしも、市井のシンポジウムで、そのような予定調和な論壇をつくっても仕方がない。

ブログの黎明期ならともかく、普及期になったいまのブログを語る術を彼らが持っているとはとうてい思えない。

*

パネラーとしての私の立場は、新聞人がプライベートな時間で、読者として新聞を読むときの気持ちを代弁することである。

私はそこにおいて、何らの限界があるとは感じないし、その意味では、自分がエキセントリックな人間とは考えていず、フランクに語る人間でしかない。

そして、私のようにフランクに語る人間を、ステークホルダーから離れた組合員ならば、あまり反発はないのかもしれぬ…。

などと考えているのです。

当日は、「読者としての皆さんに聞きたいと思いますが…」などど、何度も口にするのかもしれない。


そのようにして、私は、ドラクロワの絵画のように、自由の旗を掲げる女神を目指すのだけど、結局のところ、下の毛を露出して頓死した男性にしかならぬのかもしれぬ…。

DORA.jpg




追記:

パネルディスカッションが、シャンシャン総会のようになってはつまらないが、総会屋が跋扈するようなことも最悪。

その意味では、イベント運営者が安全策をとるのも理解できるのですが、予定調和の言論を提出してもねえ。






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Last updated  2007年04月30日 06時32分53秒
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