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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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2007年05月10日
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※ アルゴリズムとは、コミュニティーの意思決定・代表決定のシステムです。アルゴリズムを論じることは、行き先を指定しない無責任な脱構築論ではなく、超構築論とでもいうものです。





私はすでに、インターネットの歴史は、人類の4000年の歴史をトレースする。と指摘している。

そして、今、私たちが位置するのは、原始共産主義の理想の時代であると論じてきた。
事実、いまも村井純先生は、公権力のインターネットへの介入阻止に尽力されている。

だが、原始共産主義の理想と言い放っていい気になっている状況ではないと感じている。

その危機感が私をして、「アルゴリズムの時代」という本論を書かせている…。



インターネットの理想が、原始共産主義の時代であることは変わりないが、ブログの普及は明らかに新たなるフェイズを生み出している。

ブログの普及によって、個が発信することは珍しいことではなくなった。
だが、個は発信によって、社会から孤立・断絶させられる。

結果、フランクに思っていることを言う人は、炎上・バッシングされ、口当たりの良い言論ばかりが、世の中を横溢することになる。


*

私が女性小説家のオフ会で感じたことは、当日、その場にいた人たちのごく普通な感想だったはず。しかし、被害者ともいえた参加者の反発・バッシングはすさまじかった。

映画スターのファンサイトでは、明らかに不出来な作品であっても、その不出来を指摘する言論は批判される。言論の場は、そのようなステークホルダー(立場)とルサンチマン(怨念)に満ちている。


そのようなインターネットの言論がメディアが引用することによって、肯定されてしまうとともに、それが民衆の声だと詐称されて世の中に伝わっていくと、私たちの生活の根幹をなす民主主義の有様も変わってくる。

それはまずいだろう…。


というのが、私の言論する理由だ。






民主主義が何時生まれたかといえば、フランス革命であることに異論はないだろう。

では、そのフランス革命がどのような経緯をたどったかを思い出して欲しい。

1789年、ブルジョワジーが国民議会を結成し、それ呼応するように民衆たちによりパスチィーユの牢獄の襲撃が起こる。
彼らは新たな首長を決めることなく、人権宣言を採択し、1791年に憲法を制定し、立法議会を成立させた。
だが、自国に民主化の波が寄せることを怖れた近隣諸国が、1793年、対フランス大同盟を締結し、戦争を挑んでくる。

民主主義を機能させるために、十分に話し合って多数決をとるには時間がかかる。しかし、近隣諸国から攻められていては、話し合いに時間をとる猶予はない。議論を尽くさぬ採決は、合理的なものではなくなり、その結果が合理性を欠き、結果、近隣諸国との戦争に負ける結果に通じるならば、採決の結果に従うことも憚られる。

そのような状況を悟ったロベスピエールは、ジャコバン党の独裁と恐怖政治をすすめた。

*

フランス革命は、英国のピューリタン革命のような王党派と議会派の争いではない。クロムウェルのような新たな王を生むための運動ではなかった。

ロベスピエールは代議制民主主義を実行したに過ぎない。だが、それはあまりに彼の理想とは異なっていた。

だが、そのような代議制に民衆やブルジョワジーは慣れていなかっただろうし、代議制を正当化するための制度も不備であったに違いない。結果、反発も多く、ロベスピエールは、極端な政策をとらざるをえなかったのだろう。

それら、専制と民主主義のせめぎあいは、コンコルド広場で行なわれたのではなく、ロベスピエールの内的葛藤の中でこそ行なわれたに違いない。

その結末は、内省的な書斎派だったロベスピエールが、自らの理想である民主主義の旗を降ろし、独裁と恐怖政治に手を染めることとなる。
自由と平等を目指してパリにやってきた男にとって、それは人生を賭するに相応しい挫折であり、苦渋の選択であったに違いない。

彼は、民主主義の理想の旗を降ろすことで、フランスという国を近隣諸国の軍隊から守った。
だが、それが彼の理想・目標であったはずはない。



ルイ16世、マリーアントワネットの死から、時を経ずして、ロベスピエールも断頭台の露と消える。

次いで、現れた政治体制は、5人の総裁が司る総裁政府であり、その体制も、数年を経て、ナポレオンの独裁政権に繋がっていく。

結果、ほんとうの意味で民主主義の時代がやってくるのは、まだまだ、先のことである…。

否、一切の首長を存在しない民主主義は、いまだにこの世界に成立していない。

2007年のフランスにおいても、サルコジ氏を民主主義の代表と見ることもできるが、新しい王様の誕生と見ることも否定できない…。



会議・話し合いには時間が掛かる。

議案は沢山あるにも関わらず、人間にはひとつの体しかない。ならば、重要人物が必ず出席しなければならない重要案件ほど、議事はすすまない。

そして、個の思想は肉体に縛られているから、所属する派閥に縛られる。言論的対立はそれほどないにも関わらず、身を守るために所属する派閥の結束を固め、他の派閥と対抗する。

採決にも、全員投票を行なうならば、お金と時間が掛かる。そして、投票の規模が大きければ大きいほど、手続きに公正さが求められるとともに、その絶対数のパワーの元に、その偏向さが忘れられてしまう…。

そのような様々な事情が、民主主義を理想とかけ離れたものにしてしまう。

だが、21世紀の私たちには、インターネットがある。






インターネットならば、365日24時間の会議も可能である。

そこでは、参加者のすべてが情報共有し、ステークホルダー(自己の利害)を越え、ルサンチマン(怨念)を越えた議論が期待できる。

もし、ロベスピエールの時代に、インターネットがあれば、彼は独裁する必要もなかったし、恐怖政治をすることもなかったに違いない。

インターネットの言論をリファレンスしながら、政治を動かしていけばいい。

とはいえ、それはいまのインターネットでは駄目で、「多様なアルゴリズムを並存する」システムを内包したインターネットである。

それは、多種多量なリモートなタグが存在し、それをインテグレートする様々なシステムが現出することによって、容易に成立する。

現状は、情報そのものと、情報の価値判断が切り離されていない。

既存のメディアは勿論、ネット上の情報の多くは、セルフブックマークに過ぎないのである。


「劇団四季はスゴイらしい」とCMを打つ劇団。

コミュニケーション・エクセレンスと名刺に書いた広告代理店。

誰も指摘しないが、それらは極めてコミックなセルフブックマークである…。

そして、熱心なガ島通信ウォッチャーである私は、「冷やし中華はじめました」というラーメンと屋の貼り紙にも似た、「クローズアップ現代に紹介されました」というエントリータイトルを微笑ましく見ている。
(^o^)

07sponta

インターネットの普及を思うにつけ、ロベスピエールの無念を思ってやまない。

ロベスピエールの挫折は、彼がギロチンの刑に処されたからではない。

自らが掲げた民主主義の旗を、国家存続のために、降ろさざるを得なかったことである。

*

そして、21世紀…。

コミュニティー存続のために自由・平等の理想を捨てることは、どこにでもある。

あえて、ネット上の市民記者メディアの名前をあげるまでもない…。

だが、それらの運営者たちが浅慮だったわけではない。

「多様なアルゴリズムが並存する」運営システムなど、この日本のほとんどのフェイズに成立などしていないのだから…。







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Last updated  2007年08月12日 18時51分41秒
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