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カテゴリ:アルゴリズムの時代
日本新聞新聞労働組合連合会のシンポジウムが近づいている…。
主論は、アルゴリズムではあるが、新聞について考察している。 ☆ ご存知のように私は、作画ソフトを使いながら、考察を重ねている。 前回は、既存メディアとインターネットという図を描いた。 【既存メディアとインターネットの概念図】 描いたものを、時を置いて見ていると、2点の欠点が気になる。 それは、
あの図の主旨は、メディアが単一のアルゴリズムで成立していて、オープン社会は複数のアルゴリズムで成立していることを表現しているに過ぎない。 今後、改訂を加えることにする。 ☆ さて、インターネット登場以前の新聞について、作図してみた。 【伝統的メディアと大衆の概念図】 作図の主旨は次…。
2007年、市井の個でもブログがあれば、意見を発信することができる。 ならば、オープン社会の意思決定・代表選出を代行してきた既存メディアが、いままでどおりの所作を行なうことに合理性はない。 そして、市井の個の発言がインターネットで把握するようになると、いままで既存メディアが提出してきたオープン社会の意志や代表選択が、必ずしも、オープン社会の意志・代表を反映していないことが明らかになってきた。
☆ かつて、言論は、体制(保守)に対抗するために成立してきたという歴史がある。 専制主義を引きずっていた時代、議会制民主主義も専制のイメージの延長線上で形成されていたに違いない。 ならば、代議制民主主義は名ばかりのものになり、代議員や官僚たちは、自分達が新しい王様のように振舞う。 とはいえ、群雄割拠の時代のように武力で戦うことはできぬから、言論で、新しい時代の王様たちの専横を妨げるべく活動をしたに違いない。 きっと、専制を引きづった民主主義の時代には、ジャーナリズムとは野党的であることが極めて当然のことだったろう。 ☆
専制時代を引きずっていた民主主義の時代では、ジャーナリズムが野党的になるのは、極めて健全なことだろう。 だが、民主主義が新しい時代を迎えている今、いたずらに野党的言論に拘っていることに合理性はない。 否、野党的がリベラリズムと訳されるならまだしも、野党的が左翼的との意味ならば、批判されてしかるべきである。 ベルリンの壁が崩壊し、北朝鮮の拉致が発覚した今、それらの言論を既存メディアで擁護してきた過去を一切の反省しない人たちが、果たして誠実なる人たちなのか…。私は極めて疑問である。 ☆
私は、インターネットの膨大な情報量の中に埋没している存在なので、その立場でできることをやっている。
インターネットは、孤独を癒すメディアであるが、孤独を煽るメディアでもある。 対話が成立しない悲しみをこのサイトで実感して欲しい。 孤独な者たちは、対話を拒絶されて、どこへ行くのだろうか。 対話をせぬものよりも、対話を拒絶されたものたちの感情は深い…。 ☆ 進化論は現在と過去を考察できねば有効なものはできぬ。フューチャーは、今起きている問題を棚上げにすることではない…。 私は苦々しく思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年05月17日 14時14分23秒
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