日本国民総意:日本として持つべき心(前項つづき)
(前項つづき)教育ニ関スル勅語Know ye, Our subjects:朕(ちん)惟(おも)フニ、我ガ皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。Our Imperial Ancestors have founded Our Empire on a basis broad and everlasting and have deeply and firmly implanted virtue我ガ臣民(しんみん)、克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ、億兆(おくちょう)心ヲ一(いつ)ニシテ、世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ、此(こ)レ我ガ國体ノ精華(せいか)ニシテ、教育ノ淵源(えんげん)、亦(また)実ニ此(ここ)ニ存ス。そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。Our subjects ever united in loyalty and filial piety have from generation to generation illustrated the beauty thereof. This is the glory of the fundamental character of Our Empire, and herein also lies the source of Our education.爾(なんじ)臣民、父母ニ孝(こう)ニ、兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ、夫婦相和(あいわ)シ、朋友(ほうゆう)相信ジ、恭倹(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ、博愛衆(しゅう)ニ及ボシ、学ヲ修メ、業(ぎょう)ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、徳器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ、進ンデ公益(こうえき)ヲ広メ、世務(せいむ)ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重(おもん)ジ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急(かんきゅう)アレバ、義勇公(こう)ニ奉(ほう)ジ、以テ天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ。国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあい、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。Ye, Our subjects, be filial to your parents, affectionate to your brothers and sisters: as husbands and wives be harmonious, as friends true; bear yourselves in modesty and moderation; extend your benevolence to all; pursue learning and cultivate arts, and thereby develop intellectual faculties and perfect moral powers; furthermore advance public good and promote common interests; always respect the Constitution and observe the laws; should emergency arise, offer yourselves courageously to the State; and thus guard and maintain the prosperity of Our Imperial Throne coeval with heaven and earth.是(かく)ノ如(ごと)キハ、独(ひと)リ朕ガ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風(いふう)ヲ顕彰(けんしょう)スルニ足ラン。そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私達の祖先が今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。So shall ye not only be Our good and faithful subjects, but render illustrious the best traditions of your forefathers.斯(こ)ノ道ハ、実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守(じゅんしゅ)スベキ所、之(これ)ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ、之(これ)ヲ中外(ちゅうがい)ニ施(ほどこ)シテ悖(もと)ラズ。このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、このおしえは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、まちがいのない道であります。The Way here set forth is indeed the teaching bequeathed by Our Imperial Ancestors, to be observed alike by Their Descendants and the subjects, infallible for all ages and true in all places.朕、爾臣民ト倶ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其(その)徳(とく)ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。It is Our wish to lay it to heart in all reverence, in common with you, Our subjects, that we may all thus attain to the same virtue.明治二十三年十月三十日The 30th day of the 10th month of the 23rd year of Meiji (1890)御名(ぎょめい)御璽(ぎょじ)(Imperial Sign Manual. Imperial Seal)--------------------------------------------------------------------------------参考『昭和天皇の教科書 教育勅語』杉浦重剛、勉誠出版口語訳は国民道徳協会の訳文による(対訳用に一部変更)英訳は、明治40年の文部省発表による私は教育勅語に好戦的なものは感じない。暗喩されているのは、防衛的自衛権の範囲内でしかないと思う。☆さて、ここからが、純粋「クローズアップ現代」批判である。紹介された小学校の教室では、「日本には四季がある」「日本には富士山がある」「箸の使い方にも、さまざまなものがあり、さまざまな語彙がある」ことを根拠に、日本を愛せよと、小学生たちに説く教師がいる。そして、大人たちが価値観を強制するのではなく、こどもたちが自分の頭で考えて欲しい。と、もっともらしいことを言う。☆「四季があるから日本を愛せる」。世界中を旅してみれば、それぞれの国に四季、もしくは一年を通じた気候の移り変わりがあるのは当然のことである。温帯地域の国々に四季があることは、自明の理である。夏に海岸で水泳をし、冬に山でスキーをする。そういう生活はありふれたものであることは、冬季オリンピックの出場国の数を見れば分かる。「富士山があるから日本を愛せる」そんな馬鹿な論理はない。それならば、富士山を拝むことができる東京は、そうでない大阪よりも優れているのか。北朝鮮の白頭山と富士山を比べて、富士山の方が美しいから、日本は北朝鮮よりもすばらしい国とするのだろうか。南の島の国の中で、山のある国は、山のない環礁によってできた国よりも優れているのだろうか…。「日本語にはさまざまな語彙がある。だから日本はすばらしい」。さて、さまざまな語彙があることが、国際的な交流の障壁となっていないだろうか。勿論、自国の言葉を愛でることは悪いことではない。しかし、それはローカルな世界で許されることであって、それをグローバルな視点で誇ることに意味はない。☆教室では、オーストラリアからの留学生と小学生の対話の中で、愛国心を考えるというストーリーが出ていた。これなども噴飯ものである。先生の高説に疑問を呈する児童の姿もあったが、いいまかされてお仕舞いになるだろう。噴飯の理由は次のようになる。多様性の高いコミュニティーの中では、それぞれの構成員がそれぞれの自己を誇ることは相互理解につながり、コミュニティーの活性化に繋がる。だが、多様性の低いコミュニティーの中で、それぞれの構成員がそれぞれの自己を誇ると、コミュニティーはディスコミニケーションに陥る。教室で提示されたストーリーは、明らかに後者である。日本の児童が、「日本には富士山がある」と胸を張れば、オーストラリアの児童は、「オーストラリアにはグレートバリアリーフがある」と対抗心を燃やす。日本の児童が、「日本はプレイステーションを作ったぞ」と反撃すれば、オーストラリアの児童は、「でも、ドイツワールドカップじゃ、オーストラリアに負けたじゃん」と切り返す。そのような構造がある。☆テレビには、ふたりの教員が指導にあたっているが、その背後には教育委員会があり、同僚教師がいる。また、組合もいるかもしれぬ。そのような多くの知性が集まって尚、このような浅薄な授業が行われている。私は首をかしげた。だが、少し考えると、一つの結論が導き出された。汝の父母、兄弟、友達を愛せよ(教育勅語)→戦前の教育→戦争∴戦前の教育のすべては間違っている。という論理が影響したのだ。天皇制はともかくも、教育勅語の提出する「父母、兄弟、友達への愛」は誰もが納得できる純粋律であり、それを否定することはできぬ。ならば、論拠を変えて、「四季」「富士山」、「日本語の語彙の豊富さ」などというところに、国の根拠(愛国心の源泉)を求めたのだ。だが、それらが私には島国根性にしか思えない。☆彼らは、教育勅語の勅語という部分にアレルギーを示しているのかもしれぬ。ならば、勅語というタイトルをやめて、思想だけ復活させればいい。かつて、天皇制は宗教ではなく国家維持装置であると、美濃部達吉教授も指摘していた。彼らが頑迷に、美濃部教授の言論を信じぬならば、教育勅語あらため、「日本国民総意:日本として持つべき心」として、再発行すればいいのではないだろうか。彼らの言論と、キリスト者・神道者たちの言論を比べるならば、どう考えても後者に軍配があがる。神道者もキリスト者もどちらも日本あっていい。けっして弾圧してはならない。だが、奇妙な根拠で他国を蔑視するような愛国心を育むようなことはあってはならぬ。NHKのテレビマンも教育関係者もそんなことは重々承知だろうが、それを許さないマスコミの構造に落胆するばかりだ。