「それから」研究会の今後:シンポジウムと出版…。そして、佐々木俊尚氏の大いなる不在。
研究論文の脱稿以来、ひさしぶりに、東京財団でミーティングがあった。ミーティングの目的は、今回の執筆者をパネラーにした新聞人が集まるシンポジウムの打ち合わせと、今回の研究論文の書籍化に関する打ち合わせである。☆密室の出来事でもないし、私信の秘匿などという倫理が働くようなミーティングではないので、スポンタという個の文脈で、関係者に迷惑のかからぬ範囲において、否、関係者に利益を及ぼす範囲において、このブログで触れることにする。☆新聞人のシンポジウムは、東京で行なわれ、新聞人だけでなく、一般の人の参加も募るものだという。ならば、固有名詞を語ることは、正式発表のない現在はすべきことではないが、その概要について触れることは悪いことではないだろう。一方の書籍化の話についても、同様であろう。勿論、出版社において、新規企画が正式リリースする前に外に漏れることはタブーなのかもしれぬ。しかし、それが出版物の期待を盛り上げるための濫觴(らんしょう:黄河の源流の最初のひとしづく)としての価値を持つならば、慎重になりすぎるというのも、あまり意味のないことではないかと考えている。勿論、すべての言論発表は私の責任において行なっていることで、批判は受けるつもり…。☆さて、今回、私がとても残念に思ったのは、佐々木俊尚氏との出会いが果されなかったということである。巌流島では佐々木氏が待たされたが、ここでは、佐々木氏が待たすことになる。などという、ジョークを私は考えていたが、そのジョークが披露されることはなかった。お忙しい佐々木氏のこと。スケジュールが合わなかったのだろうか…。新聞人のシンポジウムにも欠席されるようだ。ということは、今後も、佐々木氏と私はけっして出会うことがないのかもしれぬ…。☆数日来、私は、佐々木氏との邂逅を予感し、次のような言葉を用意していた。「最近、島田氏が、中沢新一氏批判の本を出しましたよね。中沢氏がかつてオウム真理教の精神的支柱になり、いまでも教団の脱会を阻む役割を果していることは、日本社会にとって大きな社会悪です。それに比べれば、IT業界で顔見知りだったMさんを擁護したことなど、取るにならぬ話。私は、非力なため、オーマイニュース日本版からまったく持って相手にされていませんが、佐々木さんは、グリップブログ関連であのような経験をなされたのですから、ネット言論がカルト宗教に汚染されぬように尽力されることを望んでいます。私は、そのようなことを目論んで、ブログ活動をしてきたのですが、何らの対話も生み出さぬという恥ずかしい状況。あなたの社会的影響力を尊敬しているとともに、今後のご活躍をお祈りする次第です…」だが、そのような私の言葉たちが音声となることはなかった…。まことに残念である。