拝啓、安倍晋三様。 平成目安箱をつくろう。(その1)
【リード文】国民の声に耳を傾けることは首相にとって必要不可欠。いままでは世論形成システムとしてマスメディアしかなかった。だが、そのバイアスは無視できないほど大きいことに、国民の多くは気づいている。ならば、インターネットをつかったあたらな世論抽出システムをつくればいい。首相官邸が、平成目安をつくれば国民の声に耳を傾けるシステムができる。【本文】フジテレビの報道2001やTBSの時事放談、NHKの日曜討論などは、番組自体がニュースとして扱われる場合がある。だから、出演者たちは自らのバッシングにつながるような発言はできない。限られた放送時間の中で、尻切れトンポな発言になるなら、それはなおさらのことだ。☆私は、市民参加型ジャーナリズムについて、1年半ずっと考え続けている。第三者評価機関については、5年以上考え続けている。その思考の中で大きな地位を占めてきたのが、オーソライズという概念である。オーソライズされたものでなければ、社会はアクションを起こさない。060813。報道2001を見た。テーマは、「終戦の日直前特集!日本人は戦争責任を総括したのか?靖国と東京裁判▽特攻隊秘話」。スタジオには、政治家、評論家、歴史学者など、さまざまが出演している。テレビ番組には、オーソライズ機能がある。タブーもある。無闇な発言をすると、大きな痛手を食らう。結果、一方の論客は立論さえできず、有効な議論は成立しない。そのようにして、既存の論調をトレースするように番組は進行していき、番組の正当性を印象付ける演出のために、マスコミの論調に身をゆだねることに羞恥心のない若者が、暴言を繰り返す。彼らには、そういうスタジオの構図がみえていない。彼らの存在は基本的に、「おれたちひょーきん族」で足された居もしない観客の笑い声と同じ意図のもとに演出として選択されたものだ…。・韓国の男性は、慰安婦問題に言及した。それがあったかなかったかを論議することはいまのマスコミではタブー。それをいいことに若者は自説を展開する…。あったかなかったかの立論・検証をしないで、論をすすめるのは、浅薄である。…交通事故の損害交渉と一緒。はたして100:0の案件なのかどうか、検証が待たれる。・愛国心が問題なのではない。愛国心と軍国主義が関連づけられて語られるから問題なのだ。国際法規では、他国の国旗に侮辱的行為をした場合は罰せられる。自国の国旗に敬意を払うことを批判する教員組合や報道関係者に合理性はない。校内で彫刻刀を使った傷害事件がおきたから、カリキュラムから版画の授業をなくすようなものだ。国を愛することと、他国の利益を侵害することは必ずしも一致しない。加納治五郎氏の言葉「自他共栄」。国際社会は複雑に絡まりあい、一つの国家の一人勝ちなどありえない。それは、多くの知性が分かりきっている。…手垢のついた言葉を羞恥心なく使う若者の浅薄さと無責任さを憂う。…語句の定義をしてからでないと、有効な議論は成立しない。私は若者たちを批判しているのではない。立論して、検証・論議した上で発言すべきであり、そのように客観をつきつめた上ではじめて、主観的になる資格があると指摘したいのだ。もし、自分と意見が違う人がいるなら、その意見を導き出したリファレンスが違うことに気づかなければない。リファレンスを共有して、それでも尚、違う意見になるのなら、経験の違いを明らかにすべき。そのようにして、人と人は合意に向かっていくだろう…。日本の戦後に第三者の立場であるロシアの女性は、「日本人よ、もっと誇りを持て」と発言していた。高市早苗氏は、とても穏やかな表情でコメントしていた。彼女はすべての状況を分かっていて、このメディアで言える範囲について絶望しており、その中で極度に自制している。それは、「戦争が悪い」という純粋律を道具に煽っている男性出演者氏と対極である。☆私は、市井の意見をオーソライズすることで、社会に影響力を行使する言論のチャネルをつくろうとしてきた。だが、オーソライズが言論を縛ってしまうことも明らかである。そこでひらめいたアイデアが、平成目安箱である。ここでは、オーソライズは必要としない。それが首相官邸だけが構築できる言論チャネルのすばらしさである。平成目安箱は言論のチャネルであって、メディアではない。そのことを念頭に、アイデアを開陳していこうと思う。2ちゃんねるはリゾームだ。平成目安箱は、オーソライズを必要としない言論のチャネルである。メディアとコンテンツという括りからの超越。それこそが民主主義の理想に近い。…そう、思っている。追記:明日からは、その具体的なかたちを提出していく。