2ちゃんねる閉鎖騒動に思う。:コメント欄という集合知。はてブという集合知。そして、インテグレータの不在…。
※ お断り:長いエントリーだから、枠内を読むことで飛ばし見ができます。※ 引用させていただいたコメント者・池田先生に感謝いたします。【本文】池田信夫先生のブログに「ビジネスマンが2ちゃんねるから学ぶべきこと」というエントリーがなされたら、2万ページビューがあったという。エントリーのあらましは、「規制をつよくすれば、ユーザーは集まらず、ビジネスは失敗する」という至極当然のものである。はてなブックマークによれば、このエントリーのコメント欄が面白い。と言う。ブログというオリジナルコンテンツがあり、それに対応する2ちゃんねる(掲示板)があり、ブックマークのコメント欄がある。そのようにして、情報は渦をなしていることは興味深い。ただ、RSSリーダーの利用者はまだ1割程度だというし、M氏が絡んだという「はてな」に違和感を持っている私は一定の距離をおいているのは事実だ。ここにおいて、個のインターネット・リテラシーが求められる時代ではなく、インターネットのインテグレート技術が問われる時代になっていると痛感する。さて、私も、池田先生のブログのコメント欄がおもしろいと思ったので、私のコメントを採録するととにも、経緯を概観してみる。もちろん、採録にあたっては、私の主観がバイアスとして機能したことを読み取って欲しい。そして、2ちゃんねる是非論が、ネット者と非ネット者の踏み絵と機能していることも…。☆ここから先は、私がインテグレーターとして池田先生のブログのコメント欄を採録していきます。何かしらの文脈が成立していれば嬉しいのですが…。以下は、池田先生のブログのコメント欄の採録です。..........................................................................ノイズを丸ごとカットするのは、一種のファシズムであり、表現の自由を後退させているのではないかと思います。2chはその情報がConcentrated, Intensive, extensive,robust,である点でブログより優れると思います。池田さんが述べられているように、1000人集まればとんでもないことができる・知っている人間がいるということです。αブロガーといえ、瞬時に1000人コメントが集まることなど少ないのではないでしょうか。2ちゃんねるはリゾームだが (スポンタ) 2007-01-17 02:47:49 先生の前半の論理は、日本は法治国家ではなく、人治国家であるという指摘でしょうか。そして、あたかも人治主義を擁護されているようにも読み取れるようで、落胆しています。また、LINUXが単なる集合知であるような認識も、現実を見誤っていると思います。2ちゃんねるでの祭りが、特定の人たちの統率のとれた行動であるように、LINUXも無名な集合知の結集などではない。たしかにRSSリーダーで2ちゃんねるの代用はある程度果たせるが、そこにインテグレート機能やオーソライズ機能はない。つまり、不正が指摘されても、それがマスコミや社会を脅かすような言論にはなっていかないということです。いくつかのエントリーを関連してあげています。反論など頂戴できれば幸いです。 匿名コミュニティは、コミュニティであってコミュニティではない。コミュニケーション・情報交換(入手)のあり方として、ブログやSNSでは代替不可能な機能を持つと思いますけどね。あと、大衆性。ブログでいくら正論で盛り上がってる、とブログを「普通」に使ってると思ってる人達が思っても、現実には一般の人にとってブログは「きょうはウチのニャンコちゃんがカツブシ食べてニャー」であって、そんな盛り上がりは社会的には存在しないのと同じです。(全文採録)ブログは匿名性が薄いです。 普通の人は匿名でないと、池田さんのように前に勤務していた会社の法律違反の内部告発とか、検察批判とかこわくてできないのでは。(中略)むしろ、完全匿名のフリーネットのような場所はこれからますます必要になるはず。昔パソコン通信でニフティーのフォーラムを巡回してましたが、今では存在すら忘れてしまってます。2ちゃんねるも同じ運命を辿るなら、もっと進化したものが登場するのでしょうね。そうなんですよ。ログが残っていないんですよね。2ちゃんねる(モタタポ買わねば…)も、ニフティーのフォーラムも…。 (池田信夫) 私は、Nifty-Serveの初期からのユーザーでした。ニフティのフォーラムもしばしば荒れることがあり、「現代思想フォーラム」の騒ぎには私も巻き込まれました。しかし2ちゃんねる上の言説は、それとはまったく違います。その最大の原因は「名無し」という完全匿名を許したことです。ハンドルネームがあれば、ニフティのように誹謗中傷が起こることはありますが、基本的に論争が可能です。しかし「名無し」では、だれと議論しているのかもわからないし、自作自演も多く、コミュニケーションが成立しない。一方的な罵倒が連ねられるだけです。私の知る限り、このように発言者の同定もしない巨大な電子掲示板というのは、世界にも例がないと思います。これが匿名の無責任性をさらに強め、日本のネット文化のS/N比を著しく低下させました。その功罪は、百害あって一利あったぐらいでしょう。(全文掲載) このコメント欄もまた匿名を許容して発言の個人からの中立性を維持されているように2chの匿名性もまた個人の発言ではなく2chの発言として個人の発言から中立していることに大いに役立っていると感じています。新聞、雑誌もまた記者の同定をすることは困難で、記者の同定を避け、新聞社の発言として記事の記者からの中立を維持していると思います。池田さんレベルの優秀な人達であっても理性的で建設的な議論はそれほど安価ではなく、まして一般の人達にとっては相当な困難を伴うモノでしょう。特別優秀ではない一般大衆は、臭い口閉じて黙ってろ、と言っているのに等しいと思います。発言の責任というのは、立場×発言で生まれると考えます。発言一般について責任を持つという旧習に拘る以外に、立場を剥ぎ取った発言に責任を求める論理は思いつきません。床屋談義にもノイズにも、そこに意味を見いだすかどうかは受け手の問題と考えます。ノイズが嫌なら、S/N比を上げて接する技術が発展してるのですから、ノイズをそれほどの悪と決め付ける理由もないと思います。(全文採録)>池田先生> 私も2ちゃんねるはほとんど読まないので普段先生がご利用になられていて、その上で「役割は終わった」と仰るなら至極ご尤もですが、使っていないのにその仰りようは明らかにおかしいのではないでしょうか?。情報発信の場としての2chは確かにmixiやBlogにその役割を譲っている感がありますが、現在の2chの価値は既に情報の発信ではなく、情報の交換と議論の場となっています。あれだけ体系化された生の議論の場こそ、世界に類のないインフラそのものであり、2ch否定を行う人々か必ず口にする罵詈雑言やアラシなどほとんどの板でスルーされて終了します。S/N比など2ch全体で見れば問題にならない数値でしょう。実際に「コミュニケーションが成り立たない」掲示板に於いて、『電車男』のようなストーリーが成り立つ道理はありません。死ぬ死ぬ詐欺にしても日本ユニセフに代表される寄付金ビジネスがあまりにも不透明な金の流れを持っており、そこに高額収入を得ている夫婦があのような形で出てきたからこそ、問題になったといえます。2ちゃんねるに存在する情報のそれぞれは,誰かが何らかの意図をもって生成したデータのコピーにちがいないが,しかし同時に他の誰のものでもない共有財産でもあり続ける.この二律背反的な事実を考えると,いったい誰が誰に責任を課すことができるのか,まったくもってわからなくなる.まったくもって,2ちゃんねるについてそのすべてを理解したフリをするのは実に楽な作業ですな.池田さんの意見に同意しますが、「掲示板」と「2ちゃんねる」は、「P2P」と「Winny」と同等であると申し添えておきます。蒸し返すようですが。参考資料そうなんだよね。(つづく)