ICPFセミナー「経済産業省はWeb2.0にどう対応するか」という演題につられて、私は情報通信政策フォーラム参加したつもりだった。
だが、結果は、「情報大航海プロジェクト」の説明と、それに対する質疑応答であり、スピーカーは勿論、会場の参加者もウェブ2.0について理解されているとは思われなかった。「情報大航海プロジェクト」につき、池田先生は、財界系の言うことを聞いて動くのはそろそろやめるべきだ。と指摘した。また、グーグルと情報大航海プロジェクトの何が違うかといえば、「文化」だ。と、印象を語った。私は、役人氏を批判するつもりはない。学歴勝者である彼が、私よりも明晰な頭脳を持っていることは明らかである、その彼が苦しい論理を展開し、ディベートせざるをえない立場にいることは、同情すべきであって、批判すべきことではない。私はステークホルダーを尊重する。だが、ステークホルダーを明確にしなければならぬ。という条件つきで…。50億円の年間予算は国家予算の中では微塵である。私は、土曜日の午後にやっているような「企業最前線」や「ちょっと情報」のような企業広報を紹介する番組を想起した。企業の新製品や取り組みが取り上げられる5分番組だが、これは純然たる番組ではない。番組スポンサーになってくれたスポンサーへのサービスとして、5分間の枠が設定されているのである。だから、一般の企業情報番組だと思って、視聴者がおもしろい情報を提供しても、絶対に採用されることはない。スポンサーの放送局への献金の額によって、放送枠が割り当てられるのだ。役人氏は、政府プロジェクトは、キャッチアップ型のプロジェクトの時代から、次のフェイズにはいっていて、かならずしも成功する必要はないと、不思議な論理を展開されていたが、その論理の背景にあるのは、私が想起したような都合があるのだと思われる。☆情報大航海プロジェクトが、どの時点で発想されたものか。それを考えれば、プロジェクトの内容が陳腐なのも無理はない。役人氏は、日の丸検索エンジンと報道されることを苦慮していたが、実はそうではない。ポータルをつくろうとしてプロジェクトを企画していたら、時代はポータルからGoogle(検索エンジン)の時代になった。だから、ポータルサイトの基本構造のまま、日本版グーグルというニックネームをつけて、ニュースリリースしたに過ぎない。そのようなものでも、私は税金の無駄遣いだとは思わない。立派な公共投資である。それが社会全体の利益につながるかどうかはともかくも、少なくとも仕事は労働者に与えられるのである。やめようなどという言論は慎みたいと思う。ならば、私は情報大航海プロジェクトを批判しない。少なくとも50億円の仕事がIT業界に提供されるならば、それでいいじゃないか。とはいえ、情報大航海プロジェクトの不備については、ブログに書く事にする。インテグレータの不在、オーソライズ機構など、CGMとして求められるものを完璧に捨象しているからだ。それらが捨象された理由は、単一のインテグレータ、オーソライズを想定しているからである。とはいえ、ジョイントベンチャーな組織であれば、複数なインテグレータ、オーソライズ構造を内包するのは、これからプロジェクトをすすめていくために好都合なのではないかと考える。※ インテグレータ、オーソライズなどに関しては、これをご参照ください。上記の連載は、「ネットシンポ」として、これからはじまっています。☆羅針盤などという単一の計器をイメージして、それにより、ネット世界を把握できるという発想そのものがダメです。ネット社会は、地勢学的な合意はありません。それは、経済的世界地図や人口的世界地図が地勢的な世界地図と異なる形をしていることを考えれば明らかでしょう。たとえば、経済的な繁栄と幸福は比例するとの説は殆ど合意されているかもしれませんが、かならずしもそうではないという分析もあります。(GNPと出生時生存率のグラフで、キューバは正比例の分布から離れている…。)何か一つの価値観で、ネット世界を突き進むことができるなどという考え方が、アンシャンレジームです。複数の価値観で、複数の世界観を並立・対照させる。それがあるべき姿だと思います。☆スピーカー氏は、「ノイズ」などという言葉を恥ずかしげもなく使われていましたが、ノイズと感じる主観性の根拠について、何ら明確にしようとする意志を持ちませんでした。ノイズという語について内省的にならなければ、何も生まれない。それは、日本が繰り返し主張する拉致問題を北朝鮮がノイズとして処理し続けることからも明らかでしょう。ノイズとは何かと考えること。ノイズを感じる自分たちとは何かと考えることからしか、公僕たる公務員のアイデンティティーの確立はないと考えています。☆情報大航海プロジェクトの古めかしい論理の問題点について、以下に項目としてまとめます。・大量な情報があると無批判に認めている。スパム、重複をカットする意志がない。・ノイズの主観性について気づいていない。・サマライズ、インテグレート、フィルタリングをすれば大量な情報のカサを減らすことができることを捨象している。(サマライズ、インテグレート、フィルタリングの主観性は、複数の価値観を並立・対照させることにより、公平化できる。)・プロジェクトが想定するユーザーとは、企業のマーケッティング担当者であり、消費者(エンドユーザー)ではない。BtoBのプロジェクトである。・マーケットの不在。・業界主導、ユーザー不在のプロジェクトである。・「知的情報アクセス技術」に向けた取り組みであるとするが、2ちゃんねるの西村氏も指摘するように、ハンドリング力のない情報には接しなければいいという観点が抜けている。・知的情報ということで、知的でないものを排除している。知的であるという単一の価値観に従っており、それはある種、愚民感を伴っている。知的であること訥弁であることは反対軸にはない。知的で雄弁である者のみに発言権があるようなネット社会は歪である。・ウェブ2.0( Open, Flat Majority )を勘案していない。・メディア型発想であり、P2P的なもの、CGM的なものを感じない。・情報デフレの時代、情報コモディティー化の時代を勘案していない。・国産Googleだというが、ページランクで情報を評価するのでは、巨大組織(広告代理店・企業)などの不正な操作を排除することはできない。→第三者評価機関としてのインテグレータが必要である。・YouTubeの繁栄を見れば分かるように、ネットで価値が高い情報は、リアルな情報である。リアルであっても、企業利益を毀損するような情報は、この計画の中で流れるはずはない。ならば、大本営発表とほとんど変わらないものを提示する、この計画が多くのネット者に活用される可能性は低い。・Googleの多量アクセス数を占めたものを見れば分かるように、ネットで価値が高い情報は、エントロピーの高い情報である。エントロピーの格差は、エスタブリッシュとしての個と、生身(リアルな)の個の乖離によって生じる場合が殆どである。メディアで拡散してしまった情報はエントロピーがすでに低く、メディアで拡散しなかった情報はエントロピーが高い。では、そのエントロピーの高い情報が有価値性が高いかといえば、それではない。(テレビ局員の不祥事や、芸能人の噂…。)そこが、ネットの問題のひとつである。私のその問題を解消するためにも、インテグレータをネット上に誕生させるべきだと思っている。☆最後に、Googleのすごさを言えば、「アンネの日記」と検索欄に入力すると、検索候補の第一として、「ボールペン」が出てくることである。雑誌「マルコポーロ」の花田編集長も打ち勝つことができなかった、ユダヤマネーによる言論統制に、Googleは敢然と立ち向かっている。ロボット検索などといっているが、ロボットを動かしているのは人である。だから、Google八分というような人為的な行為も起こる。国産Googleにそんなことができるはずはないのです…。