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有毒飛沫

有毒飛沫

近藤勇 天朝に忠誠を誓った親衛隊長

近藤勇 強いだけではない、天朝に忠誠を誓った親衛隊長


近藤の出身地、日野は天領であり、他の百姓とは違う、徳川家に対する忠誠心を、大人から子供までが普通に持っていた。もちろん、近藤、土方の中にもその思いは受け継がれており、いつかことあらば、という思いが常に漲っていただろう。そんな彼らの道場、試衛館に、一つの報がもたらされる。将軍家のために、京都で護衛部隊として働かないか、という誘いである。ずっと長い間、夢見てきたことが、目の前に現実としてあらわれてきたのである。この時、彼らはどれほどの感動と狂喜を覚えたことだろう。すべてはここから始まったのだ。

もちろん、そのようにして向かった京都で、清川一郎が宣言した内容は、近藤に許せるはずもないことだった。浪士隊は徳川の為ではなく、天皇の親兵として朝廷に仕える、と言うのだから。武士の教養のない彼らにとって、天皇はどちらか都合のいい方とくっつこうとする、節操のない遊女のようなものと映っていただろう。そもそも神は、それを崇める人間のために存在するものであり、より強いもののために、その祝福を与える存在なのだ。天皇が現人神である以上、天皇に裁量権はないのである。

元々食い詰め浪人たちの集団だった浪士隊は清川の言うがままに流れていくが、近藤たちはそうはいかない。彼らには、叶うことがないと思っていた、上様にお仕えするという夢のために、はるばる京都までやってきたのだ。将軍の上洛が延期になり、浪士隊はいったん江戸に戻ることになる。しかし、思惑はわからないが、同じように浪士隊を脱退した芹沢一派とともに、近藤たちは京の地に残り、将軍がやってくるのを待つことになる。

近藤たちは、芹沢の伝で、京都守護職の会津藩のお抱えとなり、京の町の治安を守ることになる。人手が足りない折に、汚れ仕事を引き受けてくれる浪士隊は、会津藩にとっても、重宝だったに違いない。幕府を揶揄する立て札の始末なども、彼らに任せておけば、問題になったりしても切り捨てることもできる。

しかし、長州藩の朝廷への急接近により、京の地は風雲に満ちてくる。長州の威光を背負って幕府をないがしろにする不貞浪人も急増してくる。そんな仕事にうってつけだったのが、いわば外人部隊の浪士組だった。なにより、近藤たちには、徳川家に対する、強い思い入れがある。忠誠心のある外人部隊という、あり得ない集団は、この乱局を収束させるのに、まさにまたとない存在となったのだ。近藤は、いよいよ将軍家の役に立つことのできる立場を得て、まさに空をかける竜のような存在となった。

近藤の立場をより強固なものにしていくために、土方が組織造りを始める。喧嘩師だった土方は、信用できる仲間を作っていくためのノウハウを駆使して、新撰組を強固にしていく。最高責任者は一人。補佐役が2-3人。そして、最高責任者直轄のリーダーが、それぞれの部下を束ねる。部下の管理責任者は彼らである。

しかし、これでは、現行の組織と合わなくなってくる。頭が二つある組織は、機能しない。分離してもいいのだが、戦力が落ちる。さいわい、芹沢は乱行が災いして、会津藩からも対応を求められている。近藤と土方は、組織を一つにする算段をまとめた。芹沢を筆頭とする、芹沢一派の幹部を一掃するという算段である。

暗殺は成功し、浪士隊は一つの組織となる。会津藩藩主から、新撰組という隊名をもらい、名実共に京都守護職の遊撃隊としての位置を得た新撰組は、これから理想と節義に裏づけされた、実力警護隊として京に君臨することになる。このために幕府はいくつもの危機を未然に防ぐことが出来るが、逆にこの時に限界までたわめられた長州藩などは、会津藩を殲滅しても飽き足りないほどの憎しみを得ることになる。

池田屋で死んだ人間が生きていたら、京の町はとうに焼け野原になっていたかもしれない。そうしたら、長州は王都を焼いた罪で殲滅され、幕府の滅亡はずっと遅くなっていただろう。そして、京の人間の憎しみは長州に向き、事態は変わっていたかもしれない。しかし、だからと言って、京都焼き討ちを図る人間たちを放置しておくわけには行かない。犯罪を未然に防ぐためには、警護隊としては当然の役目なのだから。

しかし、まだ問題は残った。山南と土方、ふたりの実戦隊長がいては、近藤の命令が、解釈によって2系統になってしまう。そのために、土方は山南を総長という位置に据えた。総長は副長より上で、局長の直轄だが、隊内のことに関して、一切の決定権をもたない。土方は山南をオブザーバーの位置に置くことで、隊内の規律を一にしようとしたのである。

山南とて、血の気の多い実戦隊長である。この人事は、土方が思った以上に山南を苦しめることになり、やがては脱走というところまで追い詰めていく。それでも、土方に悪意がないのは、山南にもわかっているから、逃げ切る気はなかった。山南は、この閉塞感から抜け出ることが出来れば、それでよかったのである。それでも、切腹の場で土方の顔を見ると、つい愚痴が出る。敬愛する山南が、死に際に無様な姿を晒すのに耐えられない沖田に促され、はっと気づいた山南は、それ以降、見事な所作に則って腹を切り、沖田の一閃でこの世を去った。

以降、新撰組は厳しい規律と、凄まじい実行主義で京の町を血に染める。しかし、あくまでそれは幕府の転覆をはかるものたちに対してなされたことであり、罪もない人間たちに対して行われたことではない。新撰組はあくまで、現秩序を守るために行動していたのであり、それ自体は決して悪ではないのだ。近藤自身が、将軍家御大切で動いているのだから、それを逸脱することはない。近藤一人が隊の方向を決める、ワントップの組織であるから、そのあたりは容易に揺らぐことはない。

そしてついに薩摩の姦計により、長州藩がクーデターを起こす。これは失敗し、長州藩は幕府の完全な敵対者となり、やがては征長戦争となって行くのだが、このために京の町の警護を任された新撰組の日々も、よりいっそう血塗られたものになっていく。そんな中で、一人の男が幕末全体を大転回させる。薩長連合を推し進め、徳川家に大政奉還を行わせた坂本竜馬である。彼一人のために、この混乱期は一気に収束を迎える。騒ぎに乗じて利権を貪ろうとしたイギリス、フランスの思惑を吹き飛ばして。

もちろん、振り上げた拳には、やり場が必要になる。薩長と徳川は開戦となるかに思われたが、徳川慶喜という最後の将軍は暗君ではなかった。徳川方は徹底的に戦争を避け、恭順を申し出る。しかし、その徳川を、何とか武力討伐し、その領地を奪い取ろうとする官軍の暴挙に、会津軍などが反旗を翻し、局地戦を起こすことになるが、日本全体としての被害は、これだけの大革命にしては、驚くほどの少なさで、すぐに富国強兵に向かうだけの人的資源を確保することが出来た。

肩を打ち抜かれて、鳥羽伏見で戦うことの出来なかった近藤には、たっぷりと考える時間があった。江戸に帰っても、近藤は混乱している。徳川家はすっかり恭順している。この状況で官軍に歯向かうことは、自分の節義に反しないかどうか。そんな近藤に、試衛館以来の仲間たちが決別に来る。永倉や原田たちは、江戸の町を守って戦うという。しかし、徳川家はそれを許していない。近藤は、彼らと行を共にすることは出来ないのだ。彼は、徳川家の親衛隊長なのだから。

徳川家はすべての領地を返納しろといわれているが、実際にそれを行ったら、旗本たちはすぐに飢えることになる。それを何とかしなくてはと甲府城を守りに行くが、既に官軍の手に落ちており、手元の兵力では到底城を抜くことはできない。結局敗走してまた江戸に舞い戻ってきた近藤は迷っている。どちらに行くのが、もっとも徳川家にとって望ましいのか。土方は旧幕軍と一緒に戦おうと誘う。近藤はまだ心を決められない。

そして、土方と共に流山まで行った近藤は、京でも、江戸でも、武蔵でもない、この白っちゃけた町に来て、自分はなぜここにいるのだろうと思う。近藤が命を賭して守りたかったものは何だったのだろうと。それはもちろん、上様だ。徳川家を守るために新撰組を創り上げた自分が、なぜ徳川家から離れていこうとしているのだと思った時に、思考のパズルのピースは、すべてあるべきところに収まった。そして近藤は、心を定める。徳川家のために、自分ができることをしようと。

近藤は流山で戦闘をすることはなく、官軍の元に行った。呆然とする土方を残して。戦えば勝てる、負けやしない、と土方は叫ぶが、近藤は勝つために戦っているのではないのだと、近藤はあくまで将軍家の親衛隊長なのだと告げて去る。

「勝つために行くんじゃねえんだよ、トシ。俺は、天朝様のためにやらなくちゃならねえことをしに行くんだよ」「何だよ、それ。俺たちみんなを使うだけ使って、いざとなったら捨てちまった奴じゃねえか。あんな奴のために、何もするこたあねえ。そうだろ、近藤さん」「トシ、俺はな、天朝様のお役に立てると思ったから、新撰組をやってきたんだ」「...もう、新撰組はねえんだぜ」

「だったら余計に、俺が天朝様のためにならねえことをするわけにゃあいかねえさ。俺たちが恭順しねえから、天朝様はやいやい言われてる。それを放って、どっかに行くわけにゃあいかねえんだよ、トシ」「俺は行かねえぞ」「ああ、おめえは行かねえ。なくなっちまったけど、新撰組の旗を担いで、薩長に目に物みせてやってくれ。おめえなら、できる」「...近藤さんも一緒には行けねえのかよ」「天朝様が苦しんでいらっしゃる。俺は行けねえ」「じゃあ、俺も行かねえ。あんたと一緒に行く」

「おめえは行かねえ。薩長に、新撰組の意地を見せてもらわなくちゃいけねえからな」「何でだよ、ここまで来て。行ったら、間違いなく殺されるぞ」近藤は身体を回し、土方に正対した。「おめえが言うのか、それを。隊法を作ったおめえがよ」「...敵を前にして、か」近藤は頷いた。「今、俺の敵と、おめえの敵は違ってる。どっちも退いちゃなんねえんだよ。俺たちは、おめえ、天下の新撰組なんだぜ」

土方にも、もう言葉はない。近藤は軽く頷き、馬上の人となった。従者を従えて、近藤は陣を出る。四方が開けたこの土地を、近藤の乗った馬が悠々と進んでいく。その後姿に向かって、土方は呟いた。「何だかさ、日野にいたころ、出稽古に行くあんたを見てるみたいだぜ」

いつの間にか、横に斎藤、島田を始めとする、新撰組の古参が集まってきていた。「行っちゃったんですか、局長は」「...止めなかったんですね」「俺なんかが、本気になった近藤を止められるかよ。仕方ねえ、日光に向かった連中に合流する。行くぞ」土方は去っていく近藤に背を向け、陣に入って行った。残された連中はてんでに近藤の後姿に深い礼を送り、陣に入って行った。

近藤にはまず、大義があった。上様をお守りする、という、親衛隊としての誇りである。その将軍が恭順を貫こうとしているのに、それに背いて官軍に攻撃をかけようとするのは、近藤の理念から大きく外れてしまっている。そして、どんどん将軍の傍から離れていってしまうことが、近藤には耐えられなかった。近藤は、あくまで親衛隊長たる自分に殉ずる道をとったのである。

新撰組隊長といえば、官軍にとっては朋輩の仇、悪鬼、邪鬼と言ってもまだ足りないほどの憎しみの対象である。そんな彼が投降すれば、どんなことになるかわからなかったはずはあるまい。彼は、ただ、最期まで上様の意に沿い、その言に殉じようとしただけなのだ。土佐、長州のものにとって、新撰組局長は殺しても飽き足りない相手だ。それが逃げ回っていたのでは、恭順した将軍にとって、マイナス材料にしかならないだろう。新撰組局長が処刑されれば、上様への風当たりも少しは和らぐだろう。

死を恐れるより、自らが上様のためにならないことをしているという思いを近藤は嫌ったのだ。近藤は馬上に揺られながら、自らの意思で、官軍の陣に向かって一直線に進んでいく。自分を迎える地獄の門に向かって、気負いなく、懼れなく。ただ、自分の信じる道を奉ずるために。悠々と、また堂々と。

そして、新撰組隊長、近藤勇は、武士として切腹することすら許されず、斬首される。そして、その首は塩漬けにされ、京都まで送られて、再び晒される。それでも、近藤は満足していただろう。自分のやってきたことに対して。最期まで、自分が取るべき道を誤らなかったことについて。

近藤の死と共に、新撰組を支配していた節義と忠誠は消え、新撰組は狂気の戦闘集団として、暴走し始める。そしてその暴走は、敵味方に数多くの死者を撒き散らしながら奥羽を迷走し、五稜郭まで行きついて、消えた。



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