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テーマ:今日の出来事(292567)
カテゴリ:日常
今年もよろしくお願い致します。
元旦に、夫の母の命日(1月2日)前日に墓参りを済ませ、 2日から昨日まで実家に帰省していた。 義母が亡くなり、早5年。 嫁である私としては、和樹たちを見て 「ああ、この子たちのことも義母に会わせたかったな」と 思うことは時々あれど、義母がここにいないことについては 年々それが「普通」の状態になりつつある。 大好きな人だったが・・・寂しさの度合いが違う、または 寂しさの中身が違うのは、やはり実の親ではないからだろうか? 夫の心の中は分からない。 しかし、子供たちを連れて墓参りに来る度 「ばあちゃん、お前らが来て喜んでるぞ~」と 言っているところを見ると、 何年経とうと親子の愛情は薄れるどころか、 これからもずっと結ばれ続けるのだろうと思う。 昨年、実家の近所に古くから住む、Eさんという おばさんが急死したことは、日記にも少し書いた。 自分の孫は勿論、近所のよその子供たちのことも好きで、 私や母がうちの子たちを連れて散歩していると ちょくちょく顔を合わせ、世間話をしたものだった。 噂話や憎まれ口も達者で、正直カチンとくる時もあったが そういう人なんだと解釈しているので憎めなかった。 Eさんは自分の健康に自信があり、現に「殺しても死ななそう」 というイメージしかなく、急死した時は勿論、 今でも現実感がない。 今回、私は葬儀以来初めて帰省したので余計にそう思う。 和樹たちと散歩していてEさん宅の近くを通る時 「か~ずくん!大きくなったねぇ! 果樹☆ちゃん、また太ったんじゃないの?!」などと 大きな声で言いながらひょっこり家から出てきそうなのに、 Eさんはもうこの世にいない。 赤の他人の私なんかより、Eさんのお子さんやご主人の方が 悲しみが何倍、何十倍も大きいだろうとは承知しているものの 「いて当たり前」だった人が、ある日突然、 どこを探しても存在しなくなる、ということ・・・ 寂しくてたまらない。 しかしながらEさんの死も、数年後には「普通」のこととして 受け入れるようになっているのだろう、きっと。 他人だからだろうか?それとも順番から言って、自分より 早く死ぬのが当然の人だからだろうか? 春歌の死は・・・完全に受け入れた、と言っては嘘になる・・・ きっと、自分が死ぬまで受け入れることは出来ないだろう。 自分の両親には、長く元気に生きていてもらいたいな・・・ 知人が何人も亡くなった昨年のことを思うと、 つくづくそう願わずにはいられない。 新年からしみったれた日記ですみません。 義母の命日に色々と想いが重なり、書かずにはいられなくて。 一昨日5日は、私の母が私を産んで34周年の日だった。 ・・・まわりくどいって? 私、34歳になりました~!! 母にとっても私にとっても、記念すべき大切な日だ。 私自身、34という年齢は嬉しくないけれど バースデーケーキを母が買ってきてくれたことは感激だった。 夫には洋服を買ってもらった。ただし冬物バーゲン品。 母よ、私を産んでくれてありがとう。 未だに時々(いや、しょっちゅう)子供たちのことで ご迷惑をかけてごめんなさい。 長生きしてね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年01月07日 14時27分42秒
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