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☆興味のある周りの商品もチェックしてね(*^_^*)☆社会全体でバリア除くAさんは、ある難病と闘う患者さんで、明るく前向きで、何事にも一生懸命に取り組む青年です。あるとき、彼が深刻な顔で「障害者は性的な欲求を持ってはいけないのだろうか」と言い出したことがあります。きっかけは、Aさんよりもずっと重度の障害を持った人が、自分のホームページで性に関する悩みを告白したことでした。そこには赤裸々な悩みがつづられていたのですが、その感想をめぐって、身近な人と意見が対立したのです。最後には、障害者が結婚して子どもをもうけてもよいのか、社会の負担を増やすだけではないかという議論になって、Aさんはすっかり落ち込んでしまいました。 恋愛も結婚も、子どもをもうけることも、人間として自然な欲求であり、享受できる権利です。障害を理由に制限されるものではありません。 老若男女、障害者と健常者。立場や意見を異にする人たち。種々多様な人たちが、互いに差別しあい隔離されて過ごす社会は「弱くてもろい社会」です。多様な存在を当然のこととして受け入れ、ともに参加する、強く豊かな社会を目指していかなければなりません。このような考え方をノーマライゼーションといい、1981(昭和56)年の国際障害者年の行動計画にも盛り込まれました。 知り合いとの議論の中で、Aさんが落ち込んだのは「障害者は特別扱い」という言葉でした。障害者という立場に甘えていると言われたAさんは、自分の生き方に自信が持てなくなったのです。 もちろん、健常者に許されないことが、障害を持っていれば許されるという法はありません。障害者と健常者は、してはいけないことについても平等です。 しかし、人間として当然の権利に到達するまでの間にバリアがあるのなら、それを取り除くのは障害者の自己責任ではなく、社会全体の責任であるべきです。たまたま障害を得た人が、社会に負い目を感じる必要は決してないのです。 一つの基準や価値観を満たさない存在を「落伍者」と位置づけ、切り捨てたり隔離したりすることは簡単です。しかし「勝ち残り組」のなかで再び同様の「切り捨て」が繰り返されれば、最後にはだれも残りません。 多様な価値を認めあい、だれもが社会参加できる価値を発見し、つくり上げていくことこそが「ノーマルな社会」への道しるべなのではないでしょうか。 (鹿児島大学医学部リハビリテーション科・東郷伸一) 目次に戻る WEB master 註:何かと誤解があるようなので補遺しておきたい。
http://www.kufm.kagoshima-u.ac.jp/~rehabil/koza/window/010606.html
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最終更新日
2013年06月14日 23時19分03秒
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