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アンティークな琥珀堂

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短歌

☆☆ 啄木の歌集 ☆☆

石川啄木というと、生活苦の歌が有名。
なんか、暗いのよね。

石川啄木歌文集



でも、実は、青春歌人なのです。
心に染み渡るような、青春の歌を詠んで、評判になって、
じゃあ、これで、一旗あげよう、と上京したら、現実は厳しかった。

インディーズの誰かみたいでしょ。
よくある話でしょ。
そして、これからも、こんな感じで人生を棒に振る若者は多いことでしょう。

私の友達のお嬢さんのサイト。



かぉっとらんど☆ in すこっとらんど☆



空の色を見てください。
私は、啄木の歌を思い出しました。

不来方(こずかた)のお城の庭に寝ころびて空に吸われし十五の心
                       

おっと、彼女は、棒に振ったりしませんよ。
しっかり、ご両親がついてますからね。安心安心。




☆☆訃報]塚本邦雄さん84歳=前衛短歌の第一人者
 前衛短歌運動を主導した戦後の代表的歌人で元近畿大教授の塚本邦雄(つかもと・くにお)さんが9日午後3時54分、呼吸不全のため大阪府守口市の病院で亡くなった。84歳だった。葬儀は13日の予定。自宅は東大阪市南鴻池町2の15の4。喪主は長男で作家の青史(せいし)さん。

 滋賀県東近江市生まれ。神崎商業学校卒。商社に就職し、1941年、広島県・呉海軍工廠(こうしょう)に動員された。会社勤務の傍ら作歌に取り組み、戦後の47年、「日本歌人」の前川佐美雄に師事。49年には杉原一司と同人誌「メトード」を創刊し、51年の第1歌集「水葬物語」で独自の反写実の方法が注目を浴びた。第2歌集「装飾楽句(カデンツア)」を刊行した56年、大岡信さんとの方法論争で前衛短歌の立場を鮮明にした。


 以後、寺山修司、岡井隆さんらと精力的に前衛短歌運動を展開。代表作「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」(58年刊の歌集「日本人霊歌」所収)に見られるように、近代短歌とは異なる自在な韻律と技法を駆使して幻想的な美と情念の世界を開き、「言葉の魔術師」と呼ばれた。古今東西の文芸・芸術をテーマにした評論や小説も発表し、多彩な活動は歌壇の枠を超え日本の文学表現に広く影響を及ぼした。


 「日本人霊歌」で現代歌人協会賞、「不変律」で迢空賞、「魔王」で現代短歌大賞を受賞。他の歌集に「感幻楽」「詩歌変」「黄金律」、最終歌集となった01年の「約翰(ヨハネ)伝偽書」など、評論に「夕暮の諧調」「定型幻視論」「茂吉秀歌」など、小説に「紺青のわかれ」「荊冠(けいかん)伝説」など。「塚本邦雄全集」(全15巻、別巻1)がある。


 85年から歌誌「玲瓏(れいろう)」を主宰。毎日新聞の朝刊に連載したコラム「けさひらく言葉」(81~86年、1面題字下)「塚本邦雄の選歌新唱」(87~91年)は人気を集めた。90年に紫綬褒章を受章。89~99年、近畿大文芸学部教授を務めた。


 2年ほど前からは年3回発行の「玲瓏」に発表する歌が1首にとどまるなど、体調を崩して本格的な作歌・評論活動から遠ざかっていたが、今秋に開催予定の玲瓏20周年記念大会には参加すると楽しみにしていたという。


 ◇独自の言語世界を展開、貫いた「前衛」の気概


 塚本邦雄氏は、戦後歌壇に颯爽(さっそう)と登場、鋭く豊潤な独自の言語世界を展開して、その地位を確立した。商社マンとして生計を立てていた時代もあって、短歌の仕事以外では、ディレッタント(好事家)ないしはアマチュアの趣味人とみなされることが多かった。そのような中央文壇とは距離をおき大阪に定住し、定家から茂吉にいたる精妙な評論をはじめ、小説から俳句、詩、美術評論、シャンソンの研究にまでおよぶ広範なジャンルで「塚本邦雄全集」(15巻・別巻1)にまとめられた、おびただしい著作を生み出した。


 「500人を相手にしていれば十分」としていた氏も、「サンデー毎日」や毎日新聞題字下の長期コラム「けさひらく言葉」で、多数の読者を獲得。新聞の連載にしては難解との非難にも「分かりやすい、くみしやすいものばかりが幅をきかすのは悪い風潮。新聞にも、読者が考え込んでしまうものは要る」と動じなかった。国の国語政策を「無用の干渉」と相手にせず、自らの著作は旧仮名遣いと正字漢字で押し通して譲らなかった。


 物腰やわらかでダンディーな紳士だったが、いったん持論を口にすると、その博覧強記が関西アクセントの速射砲のようにほとばしって、聴く者を圧倒した。大学の教壇に立ってからは、若い世代に、言語感覚の貧しい者ととびきり豊かな者とが、大きな格差で混在していることに驚きながらも、数々のすぐれた才能を発見したことを喜んだ。


 歌壇の巨星として多くの信奉者が集まるようになってからも、前衛としての気概は終生衰えを知らず、晩年の歌にも、自らの内と外を射通すような激しい表現が、しばしば現代社会への痛烈な批判となった。前衛短歌の旗手として、鮮烈絢爛(けんらん)の言葉の光を放ち続けた生涯だった。【客員編集委員・八木亜夫】


 ◇現代短歌に革命をもたらした


 ▽現代歌人協会理事長、篠弘さんの話 現代短歌に革命をもたらした人。これだけ突出した人は100年に1人だろう。斬新な短歌の方法論は、すべての世代に多大な影響を与え、短歌を“時代の詩”に押し上げた。知識の広さ、言葉に対する限りない好奇心は他の追随を許さなかった。晩年に体調を崩されたのは残念だったが、歌人として円熟を拒否した姿勢は見事なものだった。


 ◇文学全体に大きな影響及ぼした


 ▽歌人、岡井隆さんの話 戦後短歌史において最も偉大な歌人を失った。短歌界だけでなく文学全体に及ぼした影響は大きい。戦後の第二芸術論で衰弱しかかった歌壇に、斬新で超現実的なモダニズムの手法を大胆に取り入れた。その手法は現在の若い歌人に絶大な影響を及ぼした。寺山修司とともに前衛短歌運動の盟友だっただけに、寂寥(せきりょう)感は大きい。










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