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テーマ:歌(81)
カテゴリ:短歌と詩
斎藤史さん、もう、亡くなりましたね。 この投稿を書いた頃は、まだ、健在でしたが。
ダイナミックな、憧れの女性でした。
たん・たん・短歌3
恋の歌について書くと、何だか自分まで浮きうきしてしまう。歌には恋がよく似合う。だって、もし俳句で恋を語ったらスパッと歯切れがよすぎる感じがするし、川柳だったらからかわれているみたいでしょ。やはり、恋の歌を作りたい。とはいうものの、ロマンは男女の間にのみ存在するわけではないのだから、別の角度から人生を見つめてみよう。そう思う女性歌人も結構多いみたいだ。 たとえば、世界を「見える世界」と「見えない世界」に分けたと仮定する。そして、「見えない世界」について表現しようとすると、これはむずかしそうである。私は、この「見えない世界」に私を導いてくれる歌と出会うのが楽しみなのだ。それもたった三十一文字の中で。
薄紙の火はわが指をすこし灼き蝶のごとくに逃れゆきたり
これは蝶でない蝶の歌。作者斉藤 史はもう80歳を越える歌壇のゴッドマザーである。彼女の父斉藤 瀏 は、二・二六事件の中心人物で、史自身、事件の真相について今だに何かを隠し通しつつ、昭和をぎりぎりと生き抜いてきた。彼女のきびしい体験も、劇的な人生も何にも知らない私だが、この歌に魅せられている。この蝶の軽やかさ、はかなさ、灼かれた指が一瞬ちりちりしたことまで、共有している自分がいる。そして、この蝶の逃れ去った先を我が目で追えば、そこは日常の中の非日常。 あなたの蝶はまだ飛んでいますか。
植物は歩めず涙ながし得ず枯れゆく樹皮をわれはさすりぬ
この歌には「歩めず 涙ながし得ず」という二つの否定がある。確かに植物にはできない。しかし、この否定を読めば、逆に草や木の涙が見えてこないだろうか。作者は否定することによって私達にはっきりと見せてくれるのである。「樹皮」という言葉は、ミシガンに住む私にとってはまさしく大きな古い木のイメージ。12マイル沿いの鹿を見かけた木立や、サブの裏手の暗い沼を抱く雑木林を思う。 私が鹿なら、ここがゴルフ場になる前に逃げ出したいよね。 しかし、それは決して叶わぬ鹿の夢。
氷彫刻 人に見らるる白鳥は長き首より溶けはじめたり
限りなく美しくて悲しい白鳥の歌。この一行に会場のざわめきや、並べられた料理、そこに人身御供のように置かれている瀕死の白鳥を、あなたもどうぞ感じて下さい。
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