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カテゴリ:医療関連
数年前、私が入院しているときに同室で知り合いになった女性がいました。彼女は、たいくつと不安を抱えて病理検査の結果を待っているところでした。
初めての入院ということと、けして軽い病気ではないということは既に知っていましたが明るくお喋りしていました。 ある夜に彼女は担当医と面談の後、無言で病室に戻ってきました。そして自分のベッドに戻るでもなく私の横に座りました。 担当医から、あっさりと癌であることを告げられて、明日から抗がん剤治療を開始すると・・・・ 初めての入院の彼女には病気の知識も抗がん剤も何であるのか、全くわからない状態でした。 しかし医師・看護師でもない、私にポツポツと語り始めました。さすがに私も、うかつなことは言えないので、もっぱら聞き役に徹して、彼女が落ち着くまで手を握りながら話しを聞いていました。 その後、私は退院しましたが通院日や、病院に寄れるときなどなるべく顔をだすようにしました。 途中、一時退院もできて一緒にお茶を飲みに行くこともできました。 しかし入院する期間が段々と長くなるようになってきました。 夜なら電話しても、大体いるから大丈夫と彼女には伝えてあったのですが、本当に辛いときしか電話はかけてきませんでした。 ある時の電話で珍しく、彼女が会いたいと言ってきました。 数日後、病室に行くと既にベッドから起き上げれない状態になっていました。その日は、私も面会ギリギリの時間まで彼女と色々と話しました。 それから、数週間後に意識不明になったと聞き、病室にかけつけると既に私もわからない状態でした。音は最後まで聞こえると何かで聞いたことがあったので「また、くるからね~」と言って病院を後にしました。 翌日、彼女は旅立ちました。 しかし私が、そのことを実際に知ったのは、半年後の彼女のお母様からの手紙でした。彼女は私の住所などを知ってはいましたが、ご家族は知らなかったからです。 手紙の中に、娘の遺品を整理していたらバックの中から私の手紙がでてきたので、ようやく連絡できたこと。私からのお見舞い品は、ケースに入れて娘がいつでも見えるように飾ってありますと・・・。 私にとってはあまりにも辛すぎる内容の手紙でした。 彼女が意識不明となったときに、翌日から訃報欄などは見ていたのですが、眼にとまらなかったので、心のどこかで未だ生きているのではないかと考えている自分がいたからです。 お母様からの手紙は、何年たっても忘れることができません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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