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テーマ:チケットについて(11)
カテゴリ:鉄道旅行
1992年に私は、シベリア鉄道に乗りたい。ただ単にそう考えた。
思い立ったが吉日、シベリア鉄道の本を買い込み出発。 最初に降り立ったのは、上海。鑑真号での船旅だった。中国のビザも船の中で取得でき、安い金額ながら食事まで付いているのだ。その上格安のホテルまで紹介してくれるのだ。(私は紹介してもらわなかったが) 鑑真号を降りると、おのぼりの日本人を騙そうと中国の人が群がってくる。船の上で初めて上海に来たという人たちに、本当に親切にしてくれる人もいるが、多くは高額な宝石(本当は価値のない)や様々な商品を売りつけたり、鉄道の切符を手に入れてやると言って、手数料を取り寝台のはずが座席だったり無座だったりとトラブルが絶えないことを話した。 なのに騙されてしまうんだな、これが。騙されている人に、君は騙されているよ、と教えても、この人たちは親切でいい人です。と言って聞かないのだ。日本に帰って騙されたことに気がついて、いい勉強でした、と思えれば、これもありかな。 上海ではバックパッカー御用達のホテルプージャン飯店に泊まるつもりが、さすが人気店、いっぱいで泊まれなかった。仕方ないので、街の中をぶーらぶーら歩いて、安宿を探し泊まる事にした。 翌朝、早くからプージャン飯店のフロントで待ち、ベッドの空くのを待った。すぐに、空きが出て泊まれることになった。 上海に来た目的はロシアのビザの取得である。運のいいことにロシア領事館はホテルのすぐに近くにあった。早速行ってみる。 薄暗い事務所には窓口が一つだけで、先客の中国人が出て行ってしまってからは誰も訪れる人もなく寂しい限りだ。ビザの申請用紙をもらい英語の辞書を片手に質問事項を埋める。わからないところは飛ばしてゆく。窓口にそれを出すと、例によってわからないで書かなかったところを指差し何かわめいている。それでも、わからないと言う表情をすると。文句をいいながら、埋めてくれる。(他の国でも何度か同じ手を使ったことがある。アメリカでは入国審査の書類に不備があり。スチュワーデスがかかり官から怒られていた) なんとか、数日後無事にロシアのビザも手に入れることが出来た。 すぐに、シベリア鉄道の出発地北京に向かう。 北京で簡単に手に入れられるだろうと思っていたシベリア鉄道の切符がどこで売っているのかが誰も知らない。安宿で一緒になった人たちに聞いてもわからないのだ。とにかく鉄道の切符なのだから駅に行けばいいだろう。皆の意見だ。ただし、誰も駅の切符売り場でロシア行きの売り場を見た人がいないのも事実だった。とにかく出かけてゆき、帰ってきたら皆で北京ダックを食べに行く約束をして駅に向かう。駅には案の定シベリア鉄道の売り場はなく、仕方がないので、中国旅行社に向かう。そこでも、そんな切符はないとむげに断られる。あてもなく駅周辺をうろついていると、いつのまにかロシア系の人たちがやたらと多いところにたどりついていた。この人たちはシベリア鉄道の切符を求めにきているのじゃないかと思い、後を追った。彼らが入った事務所の中には、シベリア鉄道の地図が貼ってあった。ここが、シベリア鉄道のチケットオフィースなのだ。早速申し込み用紙に明日の分のモスクワまでのチケットを記入する。(モスクワと言う英語も漢字も知らなかったのでローマ字でMOSUKUWAと書いた) 窓口では、それを見て馬鹿にしたように私を見てから漢字で「莫斯科」と訂正していた。そして、おもむろに口を開くと「没有」(ない)と一言。それじゃあ、あさってはと聞くと「没有」とまたしても一言。簡単だ。その次の日は聞いても「没有」なのだ。どうしようもなく、愕然としてしまった。ここで、シベリア鉄道を前にして乗れないで日本に帰ってしまうのか。気を取り直して「それじゃあ今日は?」「有!」。喜びと共に今日の夕食の北京ダックが消えてゆくのがちょっぴり残念。 北京駅のシベリア鉄道の待合室は人でごった返していた。改札口が開くと大きな荷物を持った人たちがわれ先に押しかける。指定席を持っていてもこんな状態だ。 夜の闇を大きな塊となって列車は走りぬける。 シベリア鉄道の朝 シベリア鉄道の切符。国際列車にふさわしい切符だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 4, 2004 09:51:04 AM
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