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カテゴリ:生活
いじめによって小さな大切な命がたくさん失われている。 学校側の対応は、誰が見たっていじめなのに認めない。その裏には、教育委員会の指導があるのだろう。補償問題を見据えた発言なのだ。お金の為に真実を捻じ曲げ、うやむやにしてしまう。微妙な言い回しを使い逃げ道を用意しておく。挙句の果ては、自殺した生徒に問題があるように匂わせる発言。すべて、自分たちの保身の為の詭弁に過ぎない。 遺書を手紙といい、殴る蹴るの暴力行為が無い、担任が把握していないだからいじめと認められないなどとうそぶく校長。小さな命の代償がこれでは死をもって訴えた生徒があまりにもかわいそうではないか! 言葉による暴力、無視されるというせつなさを少しは理解して欲しいものだ。 いじめた生徒も一生心に傷を負ってゆくのだ。いじめの事実をはっきりと公表し反省しこれから強く生きていく為に心のケアをしてゆかなければならないのではないか?そのためにも真実を明らかにしてほしい。 いじめられている生徒も、大人になっても職場でのいじめはあるのだ。だから、死ぬ勇気があるのなら、相談する勇気も持って欲しい、そして、生きる勇気も持って欲しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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