テーマ:猫と犬との共同生活(2208)
カテゴリ:生命・「道」
「考えてみる」「聞いてみる」との言葉に期待するも、その後の返事が返ってこない。 3日目に「いいよ」との答えをもらったが、翌日には「やっぱり、責任を持てないから」と断られた。 “(手に)触れてしまったばかりに”と後悔した。冷静な「どうしようというのだ」という自身の声に手を止めればよかったのにと。
我が家には、オイラと名乗り、本ブログからも独立したブログの主人公猫であるキジトラを代表に、次男の預かり猫のアメショー2匹。先住猫3匹に芝犬。
先住猫は受け入れる様子が見られない。 動物好きで、いずれはミルクボランティアもしてみたいと言っている“かみさん”でさえ、家族の負担を想い受け入れる覚悟が決まらない。しかし、一生懸命飼い主を探してくれている。“情が移る前に”との“私の迷い”には、「ちゃんと飼い主みつけてあげるからね」と声をかけ、5日を過ぎた夕方に動物病院へ連れて行った。
蚤以外は、いたって健康。猫エイズも白血病も陰性だ。生後40~50日程度。おそらく乳離れを終えてからの捨て猫ではないかとのことだった。 確かに、後日の犬の散歩で拾った場所の数m離れた草むらの上に段ボール箱が薄汚れたゴミとなっているのを見た。漫画やドラマかのような“拾ってください”が目に浮かんだ。 苛立ちはしたが、捨てる手を責めることはできない。 拾った手が“情が移る前に”と保健所に連れていくと考えたことの方が残酷なような気がした。例え筋が通っていたとしても…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 12, 2020 01:56:09 PM
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