夢なんてものは
2019年8月、拙はとりあえず「時由人」の状態を達成した。拙ブログを開設した2005年当初の目論見どおり、『50歳までにリタイアし、自由な時間を手に入れ『時由人≒自由人』になります』の状態を、実際には50歳手前にして幸いにも達成出来た事になる。だが、先日吐露してしまった情けない現状を目の当たりにして、どんなに高い目標や壮大な夢を掲げて人生を賭けて達成したとしても、最愛の家族の理解を得ず、独りよがりの行動ではダメなんだと痛感している。拙の場合、家族とはとりわけ配偶者の事である。その他の家族はこの際どうでもいい、とまでは言わないが、配偶者と出会いここに至るまでの約20年間の人生において、とにかく配偶者の理解が最大の拠り所だった。これが無ければ、拙の成す事ほぼすべて、無意味であるとさえ思う。いざ、この期に及んで、たかだか経済的独立だの、セミリタイアだの、その程度の事を長年の「夢」と設定していた事が、甚だ青臭く、ちんけに思える程だ。配偶者の理解を得て終生を共に安楽に過ごす、これこそが拙の最も大事な「夢」と言えるかもしれない。だから、まだ「夢」など叶ってはいない。ただ、すべての時間を自分の意のままに支配出来るワケではないものの、せっかくある程度は時間の自由が利く環境を得られたのだ、今後の人生においては、あまり深刻にならず気楽に平穏に、配偶者と仲良くやっていけたらと思う。