2019/09/20(金)15:08
事業家の血
私は現在、とある上場会社に所属するサラリーマン。
ある会社に属し、日々会社の営利目的のために利益貢献し、報酬をいただく。
私も、こういったいわゆる「社会人」としての毎日の生活サイクルに突入して早14年目。
20歳代の頃、2度転職。
行く先々の会社では、「中途後発組」の遅れを取り戻さんとばかり、
ただただ昼夜がむしゃらに働いてバリバリに会社のために貢献だー!
と、半ばガツガツ、ギラギラしていた。
深夜2時・3時まで働くことも当たり前。
おまけに独り身で遊び人だったこともあり、放蕩・散財の連続。ほぼ有形資産ゼロ。
30歳、運命のTOB事案に遭遇。
こともあろうに、実質敵対的TOBを仕掛けて来た相手方のために
自分が所属する会社を上場廃止に導き相手方に経営権をすべて明け渡す、
という因果な仕事を手掛けた。
私のサラリーマンのキャリアとしては一大転機を迎えた。
一連の大事を成就させることに対して、
一介のサラリーマンごときの私が自責の念から退職を決意し、3度目の転職。
ほぼ同時期に人生の伴侶とも出会い、現在に至る。
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現在の会社においては、ここ4~5年ほどは
『後輩育成』とか『内部コンサル・調整』といった類の仕事がもっぱらになってきた。
自分がそれだけ「おっさん」になったということなのだろうか。
しかし最近、『XXXX株式会社』という会社の看板、そして
『XXXX長』なる肩書きの「重さ」をとみに感じるようになった。
責任の重さ、などというありきたりな意味では無く、何と言うのか、
自分に「足かせ」をはめられているような重い感覚になるのである。
会社の看板や肩書きなどというものが、明らかに社会における自分の行動を制約している。
ある程度の大規模な会社に属していれば、利害関係者の数が多くなるというのも
大きな理由の一つだと思うが、それ以上に重さを感じる原因とは・・・
『自分だけの意思で物事をコントロールできないことが多くなり過ぎた』ということだ。
手前味噌な言い方で恐縮ではあるが、現在の所属会社は、
私が入社以来ぐんぐんと業容を拡大し、それに比例して従業員数が何倍にも増えた。
社内組織もあっという間に大きくなってしまった。
それに反比例して、自分の裁量が働く範囲にどんどん制約が付き狭められていく・・・
これが「重さ」の原因である。
自分自身が責任を負って何かを遂行したいと言うのに、
会社の看板と肩書きと巨大組織が曖昧に責任を覆ってしまう。
やはり私には、全責任を自分自身の意思で負うことが許される
『事業家の血』が流れているのだろうか。