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On The Seawall~防波堤の上~

福岡と博多の違い。

福岡市城南区油山から福岡市中心部の夜景 福岡市城南区油山から福岡市内を一望した夜景
福岡


福岡と博多

みなさんは福岡と博多の違いってわかりますか?
福岡以外の人や、福岡の人でも「福岡=博多」と思ってる人は多いみたいです。

もともと博多の地域で生まれ育った私は小さい頃、「天神(福岡市の中心でデパートなどの商業施設が立ち並んでる街)に遊びに行く」と親に言ったら、「福岡に遊びに行くとね?」と言われてました。
それにモロに博多っ子だった私は、福岡の方で「博多○○」とか使ってるロゴを見たりすると、「博多やないやん!」とか思ったりしていました。
さて、この福岡と博多の違いってなんでしょう?
それには深い歴史があります。


博多という街は歴史が古く、今から2000年以上も前から中国大陸との接点があり、港町として、そして商人の文化で栄えてきた街です。
古い文献・759年の「続日本紀」にも「博多大津」という文字が出てくるほど歴史がある街です。

戦国時代、豊臣秀吉の全国統一の戦いで戦火に見舞われた博多の街は、アジアに向けた重要な港町と感じていた豊臣秀吉の手で復興・・
そして江戸幕府ができる前、この博多一帯を治めていたのは、名島城(現・東区名島)を本拠としていた小早川秀秋でした。
この小早川秀秋は徳川家康率いる東軍と戦っていたが、土壇場で東軍に寝返り、最終的に全国統一を成し遂げた徳川家康に認められ、小早川秀秋は備前(岡山県)・美作の地を与えられ、岡山城に移ってしまいました。
そして関が原の戦いの功績で家康に気に入られてた豊前中津城(大分県)を本拠としていた黒田長政が博多一帯の街・五十二万石をもらって、名島城に入城。この黒田長政の生まれた備前国邑久郡福岡(現在の岡山県長船町)にちなんで福岡と名づける。

黒田長政は新しく城を建てるのにいい場所を探し、まだそんなに開拓されてない赤坂山(現在の中央区赤坂。当時は山だったらしい)などを削って築城、小高い丘で見晴らしもよく、この城を舞鶴(福岡)城と名づける。1607年の事である。今でも中央区の赤坂門とか大手門という地名はこの城の門があった場所である。

もともとの博多の港の人たちや商人たちは、いきなり「福岡」という地名に変えろと言われて怒らないわけがない。当時は猛反発だったらしい。そして元々の博多の町はそのままで、ほとんど何も無い所に城を建てた場所一帯を城下町・”福岡”とし、そして那珂川・博多川(那珂川の支流。この那珂川と博多川との中州が、”中洲”である)から東側の地域を商人の町”博多”とした。
この時、今から約400年前、福岡が誕生したのである。

当時、城下町・福岡と商人の町・博多は仕切られていて、福岡と博多は自由に行き来ができなかった。ただ、その福岡と博多の間にある、福岡でも博多でもない、藩の直轄地域の中洲は違った。

中洲が当時から遊郭などの一大歓楽街で、博多側からは自由に行き来ができた。そして福岡の方からも自由にではないが、行き来が出来たらしい。この中洲という歓楽街が、福岡の武士と博多の商人との唯一の接点だったのである。

城下町・福岡と商人の町・博多。川を挟んで、関所で区切られてたこの2つの町は、住んでる人も武士と商人という風に違うし、言葉使いもかなり違ってたようです。城下町・福岡ではかなり上品は言葉を使い、商品の町・博多では、もともとは港町だった(鎖国政策の為、貿易ができなかった)ので言葉は粗かったそうです。ただ黒田長政は城下町・福岡を建設する為に、博多の呉服商や御用商人、大工や鍛冶屋などの職人は、福岡に住まわせた様です。その名残りが、今現在では中央区簀子(すのこ)などで、その時代には簀子職人が住んでた町だったのです。

そして時は過ぎ・・
江戸幕府が終わり、明治維新後の1867年、市制および町村制が公布され、1868年4月から福岡と博多は「福岡市」としてスタートするようになった。
この時も博多の人たちは「福岡」という名前が気に入らなくて、「博多市にするべきだ」という運動が起こった。「福岡市と博多市とで分離した方がいい」という意見も出たらしい。だが、行政区で福岡県となったのもあり、県として、「福岡市」という事に最初は決まったらしい。
だが、この問題はその後も続く・・
福岡市が発足したその年の暮れ、九州初の鉄道が開通。この時の駅名を「博多駅」にする事で、「福岡市」派は「博多市」派をなだめたということらしい。

そしてその翌年、第2回市議会で、「歴史上から見ても、市の名前を博多市に改めるべきだ」という決議案がでた。またこの問題である。
そして多数決で採決をとることに・・。ところが「福岡市」派と「博多市」派の多数決は同数。しかし議長の票が入ってなく、その議長が「改める必要がなく、福岡市のまま」と福岡市側に入ったため、市の名前は「福岡市」に決まって、この問題に決着がついたといういきさつがあります。
そして千代町・堅粕町・箱崎町・香椎町・那珂町・西新町・鳥飼村・住吉村・能固村などと周辺の町村を合併していって福岡市の市域は広がっていった。

今となっては、福岡市博多区として「博多」という名前は残ってる。当時の「博多」からしてみればかなり広い範囲ではあるが、やっぱり博多の人から言わせれば、やっぱり「博多」なのである。
それに博多には古い歴史がある、博多祇園山笠という祭りがある。
この山笠は福岡の祭りではなく、博多の祭りなのである。
毎年7月13日に行われる博多祇園山笠での「集団山見せ」という行事。 この行事は、福岡市の要請で、博多の山笠を那珂川を越えて福岡の人たちにも見せるようにと、1962年に始まったものです。
そして中洲の所にある「福博であい橋」。これは「福岡」と「博多」を結ぶ橋という意味で、いまだに博多の地域の人は「博多」にこだわりを持っていて、「福岡」と区別することが多い。まして、この私も博多の地域で育ってきたので、その気持ちが強いのです。

その事は福岡城跡に対する考え方にもつながってる事だと思います。
もともと舞鶴城(福岡城)はかなり立派な城だったらしいです。だけど福岡の人ならば知ってると思うけど、今現在の福岡城跡はお堀しか残っていません。天守閣や建物自体が何も残ってないのです。
日本国内、昔あったお城を復旧したりして、大事に保存している中、福岡城だけはそんな動きもありません。
それは「博多」の人たちが「福岡城」に対する思い入れがなく、そして今現在もその思いがあり、そして福岡市としても元からの城下町・福岡の人ばかりではないという事でしょう。
博多祇園山笠 祭り好きの博多っ子の3大祭りのひとつ、博多祇園山笠。

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