|
カテゴリ:カテゴリ未分類
君のひたむきさが涙を誘う 君のその想いが涙を誘う 君の頑張った結果が涙を誘う・・ 知り合いからは意外に思われるかもしれません。 でも・・俺の彼女はもう知ってるけど・・俺は実を言うと、すごい泣き虫です(┯_┯) ウルルルルル 映画を観ても恋愛ものや人情ものに弱くて、見かけによらず、すぐ泣きます。 あと、信じられないかも知れませんが・・実は「高校野球」を見てても、感動して涙がこぼれてきてしまったりするぐらいです。 競馬を見てても感動すれば涙がでてきてしまいます。 高校野球とか、競馬とかを、物語みたいに見てしまってしまって涙がこぼれてくるのです。 映画とか小説、マンガとか・・物語の中に入り込んでしまって・・その人の立場になって考えて・・それを考えてしまうと・・つい涙がこみ上げてくるのです。 この前見た「シービスケット」でも・・・涙をこらえるのに必死でした。彼女にバレないようにと・・ でも彼女にはバレバレでした(┯_┯) ウルルルルル だいぶ前になりますが・・・「タイタニック」では号泣・・ 自宅でビデオでみた「フォレストガンプ」は観てしまったあと、胸が苦しくなって泣き・・自宅でDVDでみた「グリーンマイル」で泣き・・ どうしてこんなに泣いてしまうんだろ・・(  ̄ - ̄) 遠い目 ・・話は変わりますが・・ 今日の仕事からの帰途・・ 車を運転して自宅方面に走ってたところで急にお腹が「きゅるきゅる~」ときました・・ 「( ̄▽ ̄;)ウッ・・・トイレ・・」 と思ってたのですが・・その時は渋滞のさなか・・ 必死に頑張って、なんとかパチンコ屋さんに入り、慌ててる事がバレないように急いでトイレに駆け込みました。 トイレを済ませ・・ パチンコ屋さんの店内を見ると、新台入替があったばかりみたいで、えらく人が賑わってました。 その新台の所に行ってみると・・俺がだいぶ前、パチンコにハマってた頃に流行ってた「大工の源さん」が新しいバージョンになって復活していました。 「( ̄▽ ̄;)ウッ・・・したい!!」 最近はあまりパチンコをしようとは思わず、しかも今日も別にパチンコをしたくてこの店に入ったわけじゃなかったのですが・・ しかし、その「大工の源さん」の列には空き台がなく、しかもズラっとみんな出している状態で、空き台ができる感じではありませんでした。 でも、すでに俺の頭は「戦闘モード」(笑) 「大工の源さん」とはまったく違う・・しかも今までしたこともない、海物語シリーズの「海です」という台にいつのまにか座っておりました(笑) 1月2日に母親(俺の母親が大のパチンコ好き)と一緒にパチンコに行って依頼のパチンコでした。 ・・・・・裏目にでました(笑) 「あっ!」というまに3万が・・(  ̄ - ̄) 遠い目 手持ちは3万しか持ってませんでした(泣) はっきり行って、俺という人間が鬼にかわっておりました(笑) そしたらちょうど3万円めに大当たりがきて4連チャン!! 大当たりの最中は「これでなんとかなったなぁ・・これでやめて帰ろう・・」とか思ってたのもつかのま・・ 「(; ̄ー ̄)...ン?4箱ってことは・・2万5千円しかないじゃん!負けてるやん!!」 と悪魔のささやきが・・ そして・・3箱を打ち込み・・・(  ̄ - ̄) 遠い目 打ち込んでる最中・・「そういえば・・トイレに入っただけだったんだ・・」とか考えながら・・ 「あ~あ・・」と自己嫌悪に陥りながら、残りの1箱をみて、ため息をついてたとき・・ 「ラッキー!」 大当たりがきました!! それから怒涛の8連チャン!! 俺は確変が終わって、即座に換金して、そそくさとパチンコ店を出ました(笑) いちお2万は勝ったのですが・・危なかったし、疲れた(笑) やっぱまたしばらくはパチンコには行きません! そして、自分の弱さを再確認・・。 そして、自分でも感じる事が「本番に弱い」・・・ 俺は中学の時・・これは自慢ではないし、まだ自分より良いい人もたくさんいるから自分の力の程度も解ってはいるんだけど、意外と成績の良い方でした。 ・・というのも、当時は酒飲みだった父親も健在で、その父親が「家族みんな一緒じゃないと、晩飯は食べない」という主義の人だったので、みんな姉の帰りを待ってから晩御飯を食べていました。ただ、父が大嫌いだった俺はこの待っている時間が大嫌いでした。 俺は中学2年生の時までは、反抗期ということもあり、酒乱の父が大嫌いで、よくケンカし、家の前で木刀を持って殴りあいをしたりするぐらいでした。その頃は勉強もせず、成績はかなり悪く・・落ちこぼれでした。 学校では、3つ上の姉が中学の時の担任だった先生が、俺の中学3年間、担任だった事もあり、えらく見比べられました。 まぁ、それでちょっとグレてたっていうのもあったんだけど・・ 3年の時の家庭訪問の時・・ちょうど進学時期というのもあり、俺と父とでその先生と3者面談みたいな形で家庭訪問が行われました。その先生というのは美術の先生で、父が絵描きだった事もあり、仲が良かったので、3者面談(家庭訪問)は堅苦しい雰囲気ではなく、その先生と父とが言いたい放題言う感じになりました。 「お姉さんはそこそこ良かったのに・・弟君はねぇ・・」 「こいつは学校に行かせるだけもったいないけん、進学とか関係ないと」 「弟君にはやる気がない。気合も感じられない。」 「バカやけん、しかたないとよ・・見捨てとっていいよ先生。」 こういった言葉が並びました。 この時に俺のムカつきようっていうのは、今でも忘れていません。特に大嫌いで、「こういう奴にはなりたくない」と思ってた親父から出た言葉だから、特に腹を立てたのです。 それから・・毎日・・晩飯を待ってる間・・どうせ親父と一緒にいるのが嫌だった俺は自分の部屋でずっと参考書をみたり、テスト集をやっていました。本当に毎日・・同じことを何回も繰り返し・・。 まぁ、夜中には家を抜け出して、友人たちとバイクを乗り回したりはしてたけど・・(笑) そうすると成績がぐんぐん上がっていき、3年生の2学期には学年で20番以内には入っていました。10番以内に入った事もありました。友人たちからも不思議がられていました。 そしてなぜか昼休みにその担任から絵の勉強を受けることに・・。というか、強制的に受けさせられたんだけど・・。 先生から言わせれば、 「親父さんの跡を継ぎなさい。」 「君には絵の才能がある」 とか言われ・・・ガラにもなく・・(  ̄ - ̄) 遠い目 そして受験のシーズン・・ちょっと問題を起こした事もあった俺でしたが、先生が俺の頑張りを認めてくれ、内申書とかもこの問題の事は触れてなかったみたいです。大学に行く気がなかった俺に、先生から「高専を受ければ?」って言われました。 福岡市内には高専はなく、ちょっと程度が高くて福岡の南部にある高専を受けてみることにしました。まぁ、受かるか受からないかギリギリだったのですが・・。でも自分では、確実に受かると言われてた市内の工業高校にいくつもりで、その頃からパソコンに興味があった俺は、その工業高校の情報科を受けることにしてました。まぁ、高専と県立の試験日が違ったから両方を受けることに。 そして本番・・まず高専の試験がありました。 ・・みごとに落ちました(笑) そして本命・・県立工業高校の試験(3.8倍) 結果は・・ 俺が第一希望にしてた情報科には、俺の番号はありませんでした・・。 よく見てみると・・第二希望の機械科に俺の番号がありました。 まぁ、その時は自分では「ヾ(゚0゚*)ノアレアレー?」という感じだったのですが、一緒に受けた友人とかも落ちてたりしたので、あまり言い出すこともできませんでした・・。 今になって、この時の事を考える時があります。 もし、最初の希望通り、情報科で入学していればどうなっていたんだろ・・?もし、高専に受かっていたら、どうなってたんだろ・・?って・・・ 俺が入学した学校の機械科は就職がよく、実際に俺と同じ学年の機械科卒で、航空会社、自動車メーカー、PC会社、カメラ会社など、同じ科から高卒で一流企業に就職した人がいました。 高校に入学してからの俺はというと・・ 中学の時の勉強のかいあってか、高校1年の最初のテストでは、5番以内に入っておりました。 が・・・ 部活をはじめ・・そして、夜は遊びまくり・・その部活も2学期には先輩とケンカして、退部・・ 遊びまくって、成績はどんどん落ちて、 後ろから数えたほうが早かった・・(  ̄ - ̄) 遠い目 高校は・・返済しなくて良い奨学金で行ってたんだけど・・。 同じクラスの人たちが・・前の出したような、一流企業に就職できる中・・俺は県外に出るなら、まぁいい就職口はあったものの・・高校でも問題を起こしてしまった俺にはあまり良い就職口も望めず・・県外に出ようとも思わず・・。 この高校時代の俺というのは、自分自身の弱さだと思います。 勉強ばかりが能じゃないとは思うけど、自分自身、あまりにも乱雑すぎたと思います。 今はこの時の事を反省して・・ そして・・ 勉強をするわけではないけど・・ 「今からでも遅くはない!!」 そう自分自身に気合を入れて・・ 過去を振り返っても、過去は肥料として、これからの自分の足しになるように・・ とにかく、今できることを精一杯やること! 今の仕事も覚えて、これで実績を上げて、過去に実績や学歴など・・まったく関係がないように! そう自分に言い聞かせて・・「弱さ」を克服していくしかないですよね? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|