【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

Profile

lay-down

lay-down

Favorite Blog

☆ wonderful days!!… cats_bussan...さん
UFOキャッチャー フ… ミスランディルさん
かわいいマロ君 マロロン君さん
KEEP THE FAITH☆ sirius5さん
パンラヤー(妻)は… samo1965さん
貴様だってニュータ… しのり1さん
山口良一的ココロ あほんだらすけさん
隠れオタクの楽天日記 ホビクロウさん
ちめママの♪通販大好… ちめママさん
『ガンダムを中心に… ビッター6009さん

Category

Comments

 lay-down@ Re:竹谷隆之展では、どうもありがとうございました。(06/23) 千葉尚さん >モデルガンは見つかりました…
 千葉尚@ 竹谷隆之展では、どうもありがとうございました。 モデルガンは見つかりましたか? それよ…
 高瀬義雅です@ Re:ただいま、駅に向かっててくてく中 え~ 都会をナメてました… 予定通りに一時…
 高瀬義雅です@ Re:ただいま、駅に向かっててくてく中 中野堪能( ̄∀ ̄) 新宿へGO!

Freepage List

Calendar

Keyword Search

▼キーワード検索

2007.07.27
XML
カテゴリ:映画についてね

演出論に絡んで、完全にネタバレを含む『ハリー・ポッター』ネタとなるので、
未見で、今後見る予定のある方は、読まないで下さい。

さらに、俺の個人的見解かつ、個人的好嫌でしかないので、異論・反論のある方は、
内容を熟読した上で行なってください。
過去に頂いた反論は、本文に書かれていることを理解されていない物ばかりなので、
正直、

『ちゃんと読めよ・・・』

と呆れてしまうので。
疑問に関しては、俺の記述の未熟さでしかないので構わないんだけどね。
読めば判る事を読まずに(理解せず?)反論されてもぉ~~・・・、みたいな?



と、このくらいで良いかな?

前置きをこれだけ書いておけば、たまたま訪れてしまった人でも、内容までは目が行かないよね。
では、本文でござる。



うちの店のオーナーに、『ハリー・ポッター』を4作目まで借りて、観た。

1作目の原作は(確か)映画化前に読んでいたので、まぁ、こんなもんか、と。
宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』は、映画化されたのは『部分』でしかない事を本人が
語っていたし、他には『スター・ウォーズ』と言う例もあるので、『ハリー~』の1作目も
そういう意味で、『導入編』と言う感がした。

人物相関図や、世界観の表出に随分と時間を割いていたが、コレが2作目以降に十分に
生かされているとは言いがたい。
児童文学的には、丁寧な描写と言えよう。

その中で、最も中心となるのは、ハリーの生い立ちとなる。
細かい記述はしないが、ハリー自身には両親の記憶が無く、その存在と最期に関する示唆的描写が
随所に為される。
その度に、ハリーの思慕は募る構図だ。

俺が気になる点はここに集約される。

少なくとも4作目までは、その両親とその最期、そしてハリーとの関係性を描いているところに
相克と言うものがゴッソリと抜け落ちている気がしてならない。

1作目に続いて2作目では『真実を映す鏡』と言うアイテムによって、ハリーの両親への思慕を
描いている。
『真実を映す鏡』は、実は『願望を映す鏡』であり、そこには両親に囲まれて微笑むハリーがいる。

3作目でも、中心となって動くのはハリーの両親の死の真相への鍵を握る人物である。
作品のテーマ自体に柱として存在するのが『両親を失ったハリー少年』であれば、そこに絡む
人物や事件も、それに倣う。
だから、それ自体に問題があるわけではなく、描き方に『相克』が足りない。

犯人と思われていた『シリウス・ブラック』が実は両親の親友で、そのシリウスとハリーが
死霊に襲われて生命の危機に晒された時、それを高度な魔法で救った人物がいた。
ハリーは、それを父親だと確信する。

死んだはずの父親が生きていた。
しかも、高度な魔法で命を救ってくれた。

そう信じたハリーは、喜びに震えるだろう。

当然の話だ。

しかし真相は、マジックアイテム(と魔法)によって時間旅行をした自分自身の魔法で、
自分とシリウスを救ったものだ。

そこで、ハリーは喜ぶ。

『わお!凄い魔法を使えたぞ!!』

・・・それだけ?
あんなに想い焦がれていた父親に会えたという喜びが、一転、自分の才能に喜ぶだけ。

『せっかく会えたと思ったのに・・・。
 父さんに会えたと思っていたのに・・・』

そういう悲しみってないのかな?
俺なら、高度な魔法への偉業を称えるのはハーマイオニーに任せて、ハリーには涙を担当させるね。
1作目から通してきた両親への想いを、喜びとして表現しておきながら、サクッと切り捨てる。

人間は、一念だけで生きている訳ではない。
嬉しいけど、悲しい。
右へ行けて良かったと安堵する反面、左への未練もある。
そういう『相克』があるべきだと思う。

自身が幼かったおかげで、両親の死を目撃したわけではない。
ならば、もしかしたら、生きているかもしれないと願うのが少年であり、それが3作目の
『父さんに合えた喜び』になっていたはずだ。

どうにも、児童文学の感が否めない。

そして、4作目。
ここで、ハリーは両親がやはり死んでしまっていた事実にぶち当たる。
しかし、同時に『すでに死んでしまった両親が魂になってまで自分を助けてくれた』現実にも
邂逅する。

それは、喜びと悲しみの相克である。

さらに、慕っていた上級生のセドリックが死んでしまった。
ここにも、更なる相克があるはずだ。

『父さんと母さんは、やっぱりもう死んでいた。
 でも、魂になってまでも、僕を助けてくれたんだ。
 けれど、僕は助けてもらったけど、セドリックが死んじゃった』

簡単に描けばこういうことだが、実際の人間の心情はもっと複雑であると思う。
なのに、映画では

『セドリックが死んじゃった~~~』

だけで、終わり。

申し訳ないけど、感動は出来なかったね。
原作でどこまで描かれているのかは、未読なので判らないけど、取捨選択の難しい映画でも、
もう少し深みのある描き方が出来たのではなかろうか?

またまたガンダムで申し訳ないが、アムロがアニメキャラクターとしてでは無く人格を持った
人間であるように思えたのは、父親以外の男性の目を気にする母親とは一緒に居たくないよね、と
普通の人間的感覚に共感したからだ。

俺が現在でも『クレイマーvsクレイマー』をハリウッド最高傑作だと思えるのは、離婚裁判で
親権を争う際、子供をとられたくないけど、愛した妻を必要以上に貶めたくない主人公に
共感したからだ。

古い日本のアニメーションでも、オープニングテーマは『夢と希望』を歌い、エンディングでは
『悲しみと秘めた傷』を歌う物が多かった。
人間は、そんな簡単じゃないと言う事を当たり前に表現していたのだが、最近のアニメにそれは無い。

『ハリー・ポッター』のような、俺としては軽く感じる作品が人気が出るのはそのせいか?
と感じるのは穿った見方かもしれないが、完全な的外れでもないと思う。

嫌いではないが、手放しで絶賛は出来ない。
俺の完全な主観でしかないが、そう感じた。

皆さんはどうでしょう?







魂のお知らせ(旧トップページからの転写)

「塩沢兼人」さんの公認ファンクラブのHPから、
正式にリンクの許可をいただいたので、紹介します。

ドリーミン (ドリーミンへ)

HP名は『Dreamin’』です。
俺にとっての「兼人」さんはやっぱり『マ・クベ』かな。
詳しくはこちら

このページ「LAYちんの~」を見て、俺に反感を持った方は俺に対して文句を言ってください。
間違っても『Dreamin’』に対していたずらをするようなことはやめてください。

古谷徹さんのHPへのリンクも許可していただきました。
リンクフリーなのですが、一応古谷さん本人の了解を得ておきました。

Toru’s Homeへ(Toru's Home1)

Toru’s Homeへ(Toru's Home2)


追記

ガンダムMS関連テキストへ

ガンダム関連画像へ

(外部及び『魂のお知らせ』以降のリンク先、携帯では出ません)







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.07.27 11:08:48
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
別の画像を表示
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。


PR


© Rakuten Group, Inc.