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カテゴリ:読書感想文
クリスチャンの人に貸してもらった本を読み終えました。 三浦綾子さんの「道ありきー青春編」です。三浦さんの本は読んだことがあったように思うのですが当時はそれほど強烈な印象を持たなかったように思います。 この本は敗戦後に教師を自責の念から辞めた三浦さんがふたりの男性と婚約をしたり、酒やたばこに手を出したりと虚無的な世界観を持つようになったところから始まります。ある男性との結納の日に病に倒れ、肺結核となり、婚約を破棄し療養の身となった時に同じ結核患者の幼なじみ「前川正」さんが訪問することから人生が変わってゆくのです。簡単に言うと前川さんによって三浦さん(当時は堀田さん)がクリスチャンになっていく話です。といっても、多くの疑問や一種の抵抗感みたいなものがあってなかなかすんなりクリスチャンになったわけではないのですが。その辺りの迷いや疑問はクリスチャンじゃないワタシみたいなものには逆にとっても理解しやすいものでした。 治る見込みのない病気から婚約者に断りに行った夜に自殺をしようと海へむかったのを止められたり、そうやって「死にたい」と思ったのに死ねなかったこと、なのに肺の気胸療法を受けた際に倒れ「このまま死んでしまうのかも?」と意外に冷静に受け止めようとしたこと。この世に自分の意志よりも更に強固な大きな意志が存在することに気づき、日々の暮らしの中でさえ自分以外の何かが加わっていることを認めないわけにいかなくなった・・・と書いています。 時々死にたがる彼女を見て前川さんは「生きるということは、ぼくたち人間の権利ではなくて、義務なのですよ。義務というのは読んで字のとおり、ただしいつとめなのですよ」のことばに、はっ!となったり、遠くの病院で治療を受けることを決めた時にも「もうぼくなどを頼りにして生きていけないという時にきているのですよ。人間は人間を頼りにして生きている限り、ほんとうの生き方はできませんからね。神を頼ることに決心するのですね。」とか優しく言うのですよ。 ふたりの付き合いは前川さんが亡くなることで5年で終わってしまうのですが、前川さんはほんとにいい人で亡くなる場面ではワタシもウルウル・・・またね、死期を察して残した遺書にも優しさがにじみ出ているんですよ。「・・・決して私は綾ちゃんの最後の人であることを願わなかったこと、このことが今改めて申し述べたいことです。生きるということは苦しく、又、謎に満ちています。妙な約束に縛られて不自由な綾ちゃんになっては一番悲しいことです・・・」と自分の死後も彼女の将来を心配しているんですよ。 その後、三浦光世さんと出会うのですが、前川さんと姿が似ててクリスチャンで恋愛感情を抱いていくのだけどダブらせて考えてしまう時にこの遺書のことばに励まされるのです。またこの三浦さんって人もいい人でね~元カレのことを「忘れないということが大事なのです、あの人のことを忘れてはいけません、あなたはあの人に導かれてクリスチャンになったのです・・・」と。結核、カリエスと13年間、病気と闘ったのち、退院して三浦さんと結婚するところで本は終わります。 それにしても綾子さんって人はとても魅力的な女性なんだろうな~いつも病室にたくさんの人が訪ねてきて多くの人からも慕われていたようでした。本では聖書からのことばがあちこちにあって、先日もらった聖書をパラパラとめくってみたりしてます。綾子さんが虚無的だった頃に前川さんに薦められた旧約聖書の「伝道者の書」ってのはかなり異質な感じがして、どちらかというと仏教的で、こんな書も含まれていたんだわ、と驚いています。(ちなみに空は「くう」と読みます(^^)) 空の空。伝道者は言う 空の空。すべては空 日の下で、どんなに労苦しても、 それが人の何の益になろう。 一つの時代は去り、次の時代が来る。 しかし地はいつまでも変わらない。 日は上り、日は沈み、 またもとの上る所に帰って行く。 風は南に吹き、巡って北に吹く。 巡り巡って風は吹く。 しかし、その巡る道に風は帰る。 川はみな海に流れ込むが、 海は満ちることがない。 川は流れ込む所に、また流れる。 すべての事はものうい。 人は語ることさえできない。 目は見て飽きることがなく、 耳は聞いて満ち足りることもない。 昔あったものは、これからもあり、 昔起こったことは、これからも起こる。 日の下には新しいものは一つもない。 ね、虚無的でしょ?でも締めくくりは・・・ 結局ところ、もうすべてが聞かされていることだ。 神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。 神は善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。 聖書のあちこちで繰り返し出会う力強い言葉に最近ちょっと、いや、かなり励まされてます(^^) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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