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第一朗読一コリント 15・12−20
使徒パウロのコリントの教会への手紙 〔皆さん、〕キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。 して、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。 しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。 福音朗読ルカ 8・1−3 ルカによる福音 〔そのとき、〕イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。 コルネリオは251年にローマ教皇に選ばれた。 対立教皇として立ったノバチアヌスの派閥に反対されたが、チプリアノに支持されて地位を保つことができた。 ガルス帝によって追放され、253年にイタリア中部のチビタベッキアで亡くなった。 その遺体はローマに移され、カリストの墓地に埋葬された。 チプリアノは210年頃、北アフリカのカルタゴで異教徒の家庭に生まれた。 やがてキリスト教に改宗し、司祭に叙階され、249年にカルタゴの司教に選ばれた。 その活動と著作によって、多くの困難のただ中にあった教会をみごとに治めた。 バレリアヌス帝の迫害のときにまず追放され、その後、258年9月14日に殉教した。 (カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より) 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です 【送料無料】 二十世紀のカトリック神学 新スコラ主義から婚姻神秘主義へ / ファーガス・カー 【単行本】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.09.16 00:00:34
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