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なんでそうなるの

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お遍路さんに行きたい

2009.03.17
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先ほど 愛犬マリンさんに誘われて

仕事場の前の堤防に出ました

ポカポカと暖かな陽気です

私のような寒がりでも

今日は 屋内より外の方が暖かい のがわかります

これから いろんな植物が

芽を出し 花を咲かせる ので

散歩が 楽しくなります

ただし 鼻が乾き 咳が出るので マスクを外せません

昨日 何気なく 付けているマスクを 指ではじいてみたら

一瞬 マスクから 埃のようなものが モヤ~ と

目の前を かすめるのが 見えました

花粉でしょうか 黄砂でしょうか

目には マスクを付けてないので

目がゴロゴロして 困るのですが

白目が腫れるほどではありません

知らず知らずの間に 

人間の業が 自然界にも染み渡り

人間だけでなく 犬や他の生物にも

住みにくい 環境にしてしまっているのでしょう

先日まで 環境を守ろうといっていたのに

高速道路代を安くしますから

ドンドン 車に乗ってお出かけ下さい って

その 豹変ぶりが ちょっと理解できません

早く 化石燃料を使わないですむような社会は来ないものかと

嘆く私めも 実は 車の中

他人の豹変を嘆くより

自分の身勝手を戒めなければ 解決しないなあ

赤信号の待ち時間 

マスクの中で ため息をつきました  

  







最終更新日  2009.03.17 10:10:36
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2009.01.14

先日 100才を超えている お客様が亡くなりました

最近こそ寝たきり状態でしたが 

ホンの2,3年前まで 

何の介護も必要とせず ご自宅で 悠々と生活されていた方でした

ご仏前に ご挨拶に行くと

床の間には 四国88ヶ所寺の朱印が押してある掛け軸が掛けられ

ご本人が横たわっている掛け布団の上には

四国88ヶ所寺の朱印がある白衣が掛けられておりました

話を聞くと

ご本人がお元気なとき 自分で廻られ満願されてきたものだそうです

死に顔が この世での修行を無事終えられた という感じのする安らかなお顔でした

ご遺族は 枯れていくように 落ち着いた最期だった と話しておられました

これも お大師様の お導きかも知れません

私は まだ四国88ヶ所は成就して無くて 途絶えております

途中まで戴いた朱印を押した白衣は

愛犬リーさんが死んだとき 掛けてやりました

その後 巡礼を再開していません

ぼちぼち 今年あたり 再開してみようかな と

お客様の 安らかな死に顔を拝見して思いました

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一方 

住吉大社の月参りは 9年目に入りました

月参りをして その証に

境内末社の

初辰さんで知られる(一部に)楠君(本当は 王ヘンに君です)神社で

小さな裃を着けた招き猫を1つ もらってきます

これを4年繰り返すと 子猫が48体貯まりますが

それを 楠君神社に返納すると

やや 大振りな猫と交換してもらえます

始終発達 という 上方らしい かけことばです

写真 奥側の大きな猫です

前回48月参りしたときに頂戴しました

今回 子猫が48体となりましたので

今月17日に 持っていって

2つめの大きい猫を頂戴してこようと思います

よく 8年間 お守りいただいたものだと 感謝感激 であります

この 大きい猫が3体になりますと

更に大きい猫1体と交換で頂戴できるようでありますが

さて あと4年がんばれるかどうか

いや これだけは ぜひともがんばってみたいものです  







最終更新日  2009.01.14 12:22:08
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2008.12.16

12月11日

南紀串本のホテルの露天風呂から

南の大島の向こうに上がる 朝日を眺めて 私たち3人は

次の目的地である新宮市へ向かいました

叔父に案内してもらって

私の祖母の生家を見るためです

母の子供の頃は 船で行ったという話を聞いていたので

もっと 海沿いにあるのかと 勝手に思っていましたが

熊野川沿いの かつては新宮城域であったと思われるところに

その家は存在しました

IMG_0014.jpg

かつて 祖母が幼かったときに遊んだであろう

新宮城址に有った石灯籠ですが

これは そんなに古いものではなさそうです

IMG_0015.jpg

熊野川の堤防から 海を向いて新宮城祉の森を眺めました

かつては この川も綺麗で 祖母も祖母の兄弟たちも

この川で よく遊んだということでした

さて ひとときの感傷的な時間を過ごして

熊野詣での第二社目は 

ここから道路で一直線のところにある

熊野速玉大社であります

IMG_0016.jpg

新宮という地名の起こりですが

熊野本宮に対する新宮かと これまた勝手に思い込んでいましたが

かつては 近くの神倉山にあった 元宮が この地に

新しく宮を造営したので 新宮となったそうであります

それが 地名にまでなったことから

かつては 隆盛を誇っていた神社であろう事は

歴史的な宝物の多さでも うかがうことができます

IMG_0017.jpg   

平重盛公お手植えのご神木といわれる梛の木です

歴史の栄華盛衰の生き証人であります

平安後期 時の権力と関係が深かった熊野三山は 源頼朝の挙兵以降 

那智・新宮衆は源氏に味方し 平家に味方した本宮の人々と戦ったようですが

最終的には 熊野三山揃って 頼朝方につき

勢力を温存できたようです

しかしながら 平家側からすれば 裏切られたということになりますが

事態は 単純に進行したのでは無かったようで

本宮から十津川さらには野迫川・西吉野にかけて

平家の落人伝説が残っていることを思えば

権力者の生き残るがための方策と

配下の人々の思いは 決して 同一ではなかったのでしょう

あるいは 三山の権力者でさえ

時の中央政権によりそう顔と 地元生活者としての顔は

違うものだったのかも知れません

速玉大社で引いた おみくじは 「小吉」でした

前日那智大社で引いた 「吉」から上がったのか下がったのか

私は 上がったと信じることにしました

いよいよ 熊野三山詣でも あと一社を残すのみで

楽しい旅というものは あっという間に

時間が過ぎてしまうものです

さいごの 熊野本宮大社は 帰り道の国道168号線沿いです

来た道を戻るという変化のない旅です

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最近 サッカーのシンボルマークに八咫烏が採用されていて

おまけに熊野古道ブームもあり

若い人たちの参詣が増えたそうです

この近所には

その昔 平清盛の時代に生きた

薩摩守 平忠度の生誕地といわれるところがあり 

平家との強いつながりが あったものと思われます 

早い話が 

平家の公達が 熊野詣での途中で 地元の女性と関係し

その子供ができた

それが 忠度公なので 彼にとっては

南紀は 母方の土地 

源平の合戦の折 最初 本宮衆は平家についたのも なるほどと肯けます

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朱塗りの那智や新宮の大社と違い 鄙びた感じでありますが

この地は 元々 王子社のあった場所で

明治22年 水害により川の中州にあった本宮大社が壊滅し

ここに移築された という由来があります

今から100年以上前のことです

ここを 最後に私たちの 納髪と熊野詣での旅は終了しました

母の遺言が実現できて安堵しています

もし 叔父が先導してくれなければ なかなか行けなかっただろうと思います

息子を連れてきたのは

私に万一のことがあれば 後を託すためです

往復の道を 私が運転しましたが

体力的にはかなりの疲労でした

生涯に もう1,2度 訪れることができれば 大出来だと思います

息子には息子の考えがあるので 

今後どうするかは彼に任せますが

できるならば 時々は この日のことを思い出してもらいたいものです 

本宮大社でひいた おみくじは とうとう「大吉」でした(笑)







最終更新日  2008.12.16 12:06:09
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2008.12.15

那智熊野大社に参詣し 吉のおみくじを引いた私は

母の遺言通り 青岸渡寺に遺髪を納め永代供養のお願いをして

那智の滝を拝観し

叔父の案内で 宿泊先である串本に向かいました

ストレートにホテルに入るには 時間が早すぎるからと

串本の対岸である 大島を見物することになりました

トルコの人が 

自分の国の作り方で ソフトクリーム(アイスクリーム)を作っている店があり

それを食べようと言うことで

私も 息子も あの伸びるクリームにつられて 大島に行くことになったのです

串本から 大島へ渡るのは かつては

狭い海峡を 北から南へ渡る巡航船でしたが

今は 西から東へ渡る橋が架かっています 

大島大橋

大島大橋とでもいうのでしょうか

彼方の橋が その橋です

橋のおかげで 歌に唄われた巡航船は姿を消したでしょう

あまり 大きくない島を道に沿って ドンドン奥へ行きました

駐車場で車を降り 進んでいくと

トルコの軍艦「エルトゥール号」遭難慰霊碑がたっています

1890年9月16日 日本に親善訪問して任務を終えたエルトゥール号は

台風に遭遇して 大島の岩礁に激突・座礁し 更に水蒸気爆発を起こし

沈没 乗員587名が死亡しました

生存者が 1870年に点灯した大島樫野埼灯台に救助を求め

大島の住民たちは 台風下 総出で救助にあたり

69名の生存者に 自分たちの乏しい食糧や衣類を惜しげもなく提供し

死者の遺体引き上げにも尽力した ということであります

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この事件以降 政府間はさておき

トルコ国民の親日感情は 大きなものが有り

1985年の イラン・イラク戦争時

トルコが イランの日本人救助のために救援機を飛ばしてくれて

215名の日本人を 救出してくれて

「エルトゥール号の恩返しです」と言ってくれたことは 

私たちも 記憶に深いものが有ります

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慰霊碑脇の トルコ記念館から エルトゥール号が被災した岩礁を見ました

穏やかな 海でありますが

こんな狭いところで 歴史に残る大事件が起き

そして 今なおトルコの人々が感謝してくれているほど

大島の人々が献身的に救助したことに 私たちの頭は下がりました

叔父は この現場に私と息子を連れてきたかったに違いない と感じました

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日本最初の回転式閃光灯台である樫野埼灯台の周囲には

灯台技師の植えた水仙が咲いていました

白く清楚な水仙は 私には まるで遙か異国に沈んだトルコの犠牲者の人々への

鎮魂の供花のように 思えました

そういえば 11月に南紀白浜へ行ったときは

季節外れの寒波で 真冬並みの気温と強風で

半分 命掛けで露天風呂に入ったのですが

今回は 12月だというのに暖かく 11月初旬並みの気温だということで

南紀串本のホテルの露天風呂は

大島を目前に見渡せ

悲劇と 

大島の人々の献身と 

今なお感謝の気持ちを抱いてくれているトルコの人々の温情は

夜といわず 深夜といわず 明け方といわず

私たちの 心を揺さぶりました

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2日目の早朝 露天風呂につかりながら 大島の向こうから

昇る日の出を拝みました

暖かい朝でした







最終更新日  2008.12.15 18:48:40
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2008.12.12

12月10日に いつも通い慣れた十津川路を経由して

南紀に入り 母の遺髪を納髪のため 

叔父の案内で 息子を連れて 那智山青岸渡寺を目指しました

以前 子供たちがまだ幼かった時分 このルートを通り

那智山経由で

紀伊勝浦温泉に泊まったことがありますが

その時と比べると すごく道路が改良されていて

時間も 短縮されたし なにより 一部の未改良区間を除き

車酔いしにくい道路になっています 

街道に馴れた私が運転して

十津川から 熊野川沿いに 熊野本宮脇を通り

熊野路をひた走りました 

熊野川標識

トイレ休憩した場所に 世界遺産 熊野川 という標識がたっていました

熊野川初冬 

車は 熊野川沿いに 国道168号線を新宮市まで南下し 

国道42号線を西へと走りました

途中 那智勝浦新宮自動車道路に入り

おやもう着いたの と思うくらい予想より早く 那智山に到着しました

石段をフウフウいいながら 3人で上りましたが

これも 母の供養のため 

いやなに うっかり車を下に置きすぎたのです

まず 青岸渡寺の横にある

那智熊野大社に詣でることにしました

那智大社2

おおきな おみくじの筒があり 抱えて竹を取り出します

那智大社

「吉」でありました

私の運勢は まあ この程度のものです

そして 次にいよいよ 母の遺言を実行すべく

隣にたっている 青岸渡寺に向かいました

青岸渡寺

ここが 西国33ヶ所 1番札所 青岸渡寺の本堂です

私が訪れたのは 先述の通り2度目ですが

その時には 母の遺言により 又来ることになるとは

夢にも 思っていませんでした

私は 母の髪を納髪し 永代供養をお願いしました

叔父は 私の父母も含めて 自分の係累一同の供養を依頼してくれました

私が 来られなくなったら 

息子が引き継いで 供養に訪れてくれるものと期待しています 

石段

お参りが終わり 私たちは余り光の差し込まない

うっそうとした林の中の石段を 下り

那智の滝の傍まで 歩きました

那智の滝

遠くから見ると 水量が少なく 上で三筋に別れ

やや か細い感じがしましたが

こうやって近くから眺めると それでも なかなかの迫力でありました

こうして 那智山でかなりの歩数を歩いて

目的の青岸渡寺へのお参りは 済ませることができました

その夜は 串本泊まりです

串本へ向かう車中 

叔父の提案で 

串本の向かいの大島へ

トルコ人が作るソフトクリーム を 食べに行くことになりました 

また せっかくの機会なので

熊野三山詣でをしようということになりました

おそらく 叔父がいなければ こういう機会は得られなかったと思いますが

母の遺言が 私たちを熊野詣でに 導いてくれたのであります

感謝 感謝でありますが 

明日は 深酒忘年会であります

続きは 次回ということにいたします

 

 

 

 







最終更新日  2008.12.12 20:47:46
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2008.03.22

昨日の夕方6時過ぎ お客様の家から仕事場に帰る途中

明るい東の空に 真っ白な大きなお月様が 浮かんでおりました

夜に見るような 冴え冴えしさはないけれど

穏やかな やさしい 月歴2月14日の丸いお月様でした

さて 私は最近 というか毎晩 新発売の糖質ゼロのアルコール飲料を

飲み比べておりますが

昨夜は 少々量が過ぎたようで

Wiiの数独が さっぱり進まず

風呂にも入らず こたつの中で うたた寝をして

朝を迎えてしまいました

それも いやな夢を見て目覚めました

夢というのは 人を殺した夢でした

私は大小の刀を差していました

誰か2人を 金で雇われた追っ手から逃がすために

連れて逃げ

追いつかれた追っ手を切り捨てました

ここからが 格好悪い

私は 証拠の隠滅を測り 鞘はそのままにして

刀の中身だけ換えて

表面何食わぬ顔して その実 いつ犯罪がばれないかと びくびく暮らしました

その びくびくしているところで 目を覚ましました

こんな夢を見て 気分いいはずありません

夢は正夢といいますから これからの自分に

こんな事が自分の身に降りかかるのか とか思って 

目覚めてからも しばらく 鬱々しておりました

これは うつ病の前触れか とか考えて

夢でも うつの 引き金になりうるのかな とか

びくびく逃げ回る 卑怯な自分が 私の正体か とか

今の生活の延長線上には こんな事が待ち受けているのか とか

こんな自分を鍛え直すには どういう修行をしたらいいのかな とか

まるで 新しい数独の問題を 与えられたような気分でした

そこで ふと気がついたんです

もうそんなときは 自分が殺さずに 殺されればいいんだと

誰も見ていないと思っても 神様や仏様は見ているんですから

神仏の前に 身を捨てる 事が 今回の正解なのかも と

それで 気分が楽になりました

実は 一瞬ですが 実際にこんな気分になった事が

一度だけありました

お遍路さんに行って四国を歩かせていただいていたときです

まあ ホンの一瞬でした

今の生活には その体験のかけらも 生かされておりません

そういえば お遍路さんにも 長く行かせてもらっていません

愛犬リーさんの死で 車の日帰り遍路の途中から帰ってきてから

すっかり 足は止まってしまいました

あの時は 私の血圧は 毎日200を超えていましたが

まだそんなに症状も自覚せず 自分の体は特殊なんだと勝手に思い

その後 そうはいかなくて 通院し出しましたから

あのまま 自動車で廻っていたら 何か私の身に異常が起きたかも知れません    

それも 因縁めいたことです

ひょっとすると この気分悪い夢は

再び 私をお遍路さんに呼んでくれるための

お大師様の 試験問題だったのかも知れない

そう自分に都合よく解釈して 

右から左へ受け流す 事にしました







最終更新日  2008.03.22 12:07:33
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2008.01.20
先日 四国の紙製品の取引先から

新製品の紹介に来ました

私は 彼とは 久しく出会って無く 行き違いばかりで

最後に出会ったのは 世界がまだ20世紀の頃でした

私と仕事の話をしても仕方ないので

話題は 私がしていた お遍路さんの話へ

身の程知らずに 気の赴くまま歩いて 初日で脱水状態になった話

遍路道をへろへろで歩いていたら 

お接待を受けて 力を頂戴した話 などなど

四国の人は ホントに親切だと 感謝を込めて話しました

四国出身の営業マン氏は それを当たり前のように

頷いて 一つ一つ理解して 聞いてくれていたように思います

聞けば 彼の お父さん お母さんも お遍路さんしている ということでした

「ただ」 と彼は言いました

「ただ 四国の若い人は あまり関心無いようです」

「そんなものか」 そんなものだろうな と思いました

戦後の 豊かさが当たり前の社会に生まれてきたのですから

無理もないかな

今朝 毎日新聞が 

高松の遍路道で ミカンの木とかを植えて

お遍路さんに食べてもらおう という地元NPOの試みを

紹介していました

有り難い話です

四国を目指すお遍路さんは 何か理由があってそれを行うのですが

それを迎える 四国の人々の暖かさは

どれほど お遍路さんを励ましてくれることか

そんな魔法のような力を 四国に人々は持っているのだと言うことを

四国の若い人々も あらためて認識していただき

誇りを持っていただきたいな と

今朝の新聞を読んで あらためて 自分が頂戴した

お接待の一つ一つを思い返しながら 感じました

「今度 会社の傍を通るとき 日にちがわかったら 教えて下さい」

別れ際に 紙製品の営業マン氏は言いました

「お接待をしてくれるの?」 と聞くと 「はい」 という返事

「ありがとう」 と返事しました

彼なら 必ず都合をつけて実行してくれるでしょうが

話だけでも 有り難く 嬉しいことじゃありませんか

打ち止まっているところから 彼の会社の付近にたどり着くまでには

相当厳しい道のりなのですが

一丁 都合をつけて 歩きに行こうかと いう気になりました

でも 彼の会社の前は通らないでしょう

歩き遍路コースから遠回りになって とても 足に余裕がないでしょうから

話だけで もう十分 お接待を受けたような 有り難い気分ですよ

ホントに 四国は 不思議な いいところです

 






最終更新日  2008.01.20 11:19:12
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2008.01.10

以前 ご紹介した ジョシュア君の おじいさんのその後の話です

先日 ひょこっと来られて 話を伺いました

大正12年生まれの 84歳の男性ですが

一昨年 奥さんが難病で闘病1年足らずであの世に帰られたあと

独居で 自立されておられます

それどころか 難病の方に 絵画指導のボランティアまでしてくれているのです

これは 前から続いている話なのですが

びっくりしたのは その後の話

昨秋 市のウオークラリーで 42.195Kmを

60位で 歩き通されたとのこと

参加総勢は300人程度でしょうか

84歳にしてこの快挙 びっくりしました

奥さんが闘病中は 看病しているご自分が

大腸ガンの手術直後で 下肢筋力も衰え

階段の昇降もままならず 訪問リハビリを受けておられました

それが 奥さんを看取った後 一念発起で

介護保険利用返上 自発的に 歩く訓練を続け

とうとう 42.195Kmを歩き通したということであります

「いよいよ お遍路さんいけますね」と水を向けると

まんざらでもなさそうでした

「でも 歩き遍路の道は 起伏の激しい道が多いですから」 と今度は水を差すと

「月に1回ずつ 金剛山登って来ようかと思っているんです」 というお答え

どこまでもお元気な 84歳でした

どうか 今年も お元気で歩き続けて下さい

 







最終更新日  2008.01.10 07:57:03
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2007.01.25

おじいさんの家でくつろぐジョシュア君親子

ジョシュア君親子が ジョシュアママさんやおねえさんと 年末に おじいさんのおうちに 帰ってこられました

私は ちょうど 預かり犬花子ちゃんの 闘病介助中で 会えなかったんですが その時の画像を送ってくれました

ジョシュア君親子は どちらも 元気そうで 何よりでした


その時にジョシュアママさんが電話をくれて おじいさんが お遍路に行く といって張り切っているとの事でした

私にも その前に ご本人から連絡があって お遍路さんの話をお尋ねになっておられました

もう一昨年になりますが 私の父が亡くなる二ヶ月前に 難病で闘病中の奥さんを亡くされ 一人暮らしになってしまわれました

ジョシュアママさんはもとより 家族の皆さんが 一人暮らしの生活を心配されておられましたが 今や 介護保険要介護認定返上のうえ 若い難病生活を送っている女性に週一回ボランティアで絵を教えるという 表彰もののご活躍ぶりです  

きっかけは NHKのドラマで 四国お遍路に興味を持たれたとのこと

今は 毎日最低一万歩 歩いているという お元気ぶり

奥さんが亡くなる一年前に お腹にメスを入れた元病人さんとはとっても思えない方です

昨日 お遍路さんの本を持って 久しぶりに お邪魔いたしました


亡くなられた奥さんが 植えたと思われる花が咲いていました

 


 
ジョシュア君のおじいさん宅で


って いくら何でも 少し咲くのが 早くない?
ジョシュア君のグランパパですが お遍路に 行く気満々で 今年に入ってから一度 バスに乗って一番から六番まで お参りを 試してこられたようです

やることが早い  私はママさんから 二月に予定しているようだ と聞いておりました

だから お接待第一号に お遍路の本をプレゼントしようと思ったのですが

もう この調子だと 春の訪れと共に 四国に旅立ってしまいそうな勢いです

でも 一人では行かないで と 娘さんには止められているようです


昨日は 余り時間がなかったので ゆっくり話ができませんでしたが 今日の病院の検査も良好ということで もっとゆっくり時間をとって お遍路のことを聞きたいとのことであります

できる限りの情報は お伝えしますが 話を聞けば聞くほど お遍路の虫がうずいて 行きたくなりますよ

季候が良くなれば 誰かが遍路道を歩いているから 一人でも大丈夫とは思うのですが
こんなこと けしかけると ご家族に怒られそうですね

でも 元々一人じゃないですよ お遍路は

ちゃんと お大師様が同行してくれるし 亡き奥さんだって生前のように一緒に旅してくれますよ  

無理せず頑張って下さい 83歳の歩き遍路さん

 







最終更新日  2007.01.25 18:29:00
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2006.07.19

現在 大雨で 各地に警報が出ていますが どうかお気をつけ下さい雨台風 

昨夜 仕事場に遅くまで居残りましたウィンク 
残業ではありません エアロバイクをこいで居りました自転車
その後 石垣パインの小さいのを 半分 スプーンで ぺろり
筋が歯に引っかからず 唇にぴりっとも来ず 甘く おいしかったです食事

沖縄で台風に追われた悪夢のような出来事が 早くも 甘い思い出になりそうですきらきら

 

ところで

今年4月から 介護保険の 認定審査(調査ではありません)結果が 私の住んでる地方では 訳わからんほど 低い介護度で 決定されてきます!?

この審査で 要介護度が決まり 福祉用具が制限されたり 1割負担の範囲内では 今までほどのサービスが利用できなくなったり あるいは 要介護度が上がったがために 同じサービス利用でも 利用料が上がったりします 

大事なのですが それがどうもおかしいわからん

たまたま 友人のお父さんが 要介護3から1に下がったので このケースを取り上げます

この人は 現在81歳で 慢性腎不全で腎臓臓機能障害1級・2度にわたる脳梗塞で右片麻痺が有り 週3回透析に通っておりますが 今回そこに肺線維症が加わり夜間酸素吸入しています
主治医の意見書を見れば 透析時 時々 血中酸素濃度が90を下回るときがあるようですしょんぼり

昨年末 妻が急死して とても独居できず 息子さんが 本人を説き伏せ自宅へ連れ帰り 同居していますが 息子さん夫婦も 軽度の慢性病持ちで 無理をさせられない状態ですショック

そこで 本人の起居動作を考え希望もあったので 介護ベッドをレンタル 透析に行かない平日の週2回をデイケアで 入浴と訓練にあて 土日は 療養食を準備してくれる老健施設へショートステイを利用してもらう ということで様子を見ています目     

単位的には 要介護3で 1月あたり上限26750単位の内 平均20000単位の利用で綺麗に枠内に収まっておりましたスマイル
でも8月からは 要介護1なので 上限16580単位で 毎月大体3500単位の不足です
今までの利用料に加えて毎月35000円を支出しなければなりませんしょんぼり
加えて 10月からは 介護ベッドの貸し剥がしが待っていますしょんぼりしょんぼり

こんな事って 絶対 変です怒ってる

当然 友人は疑問に思いますぷー
そこで 審査の元になった 訪問調査を 要介護3の時と要介護1になった今と比べてみました
移乗や移動で 調査ミスがありますが 電話や聴覚視覚で 状態が悪くなっているので とんとん
だのに要介護3から1になっているのです
今年の春 N県で認定調査員の研修がありましたが 認定内容は変わっていないと言いましたが N県庁の人 この現実どう思う?ムカッ
審査会で認知症がないと 要介護度を下げるという けったいなグループも存在するようですしわからんわからん

ここで 週3回通っている主治医の意見書を 見てみると 短期記憶問題有り・意志決定を行うための認知能力いくらか困難・意思伝達能力いくらか困難  とありますが 認定調査では いわゆる認知症関係の部分は 綺麗に問題なしになっているのですびっくり

そこで 友人に だれが 調査に立ち会ったか聞くと 友人の奥さん
同居間もない 息子の妻は 義父の面前で その問題行動を言えなかったのです目がハート

友人に 物事うまく行きかけたら いつも 手を抜く 悪い癖のせいだ
自分で 立ち会って 実態を きちんと伝えないからだ と 苦言を呈したものの
この調査票 おかしいな と 保険者も審査会も 何も思わなかったのかな~ と これは 友人の疑問失敗

そりゃそうです 訪問調査の結果が前回と一緒なら 今回も同じ認定結果が出てくると 普通は思うものほえー

私の見るところ このお父さん 認知関係のところで 4つや5つ 引っかかるところがあるので
次回は しっかりと 調査員に伝える必要があるね と 優しくアドバイスあっかんべーあっかんべー
面前で言いにくければ 別室ででも
そしたら 4月以降のけったいな審査でも 要介護2や3には なるはずですマル

皆さんも 家族さんの介護保険の認定調査の時には 「問題行動」を隠さずにきちんと伝える方法を工夫してくださいね
4月以降のけったいな審査に対する自衛策は これですね 

さて 雨の中 久しぶりに十津川路を 終点の十津川村まで 走ってきます荒波車
どんな1句がひねり出せるやら下向き矢印







最終更新日  2006.07.19 08:38:56
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