St,mother/愛~天地人

本当の悟り


ストレス社会 人は困難な状況に陥った時
死にたいと考えた時 深い絶望感になった時
様々な境遇環境の思いから  
藁にもすがりたいほどの気持ちにもなる事もある
何かを求め始める 自分を省みたりもする 
道を求め信仰心が生まれ追求し始める

宇宙のこの果てしないスケールの中から見て
一部 神様や仏様の世界には啓示や弟子への教えとし
万人のために 見える形での教えがあります(聖書 お経)
でも 人は本来 元々親神様よりの分け御魂を秘めておりますから
全てを知る者と言っても過言ではありません しかし
天より 生れてくる時に全てを設定し 地球へと家族の元へと生まれ
肉身の姿をまとった時から 天の意を忘れてしまう
いわゆる記憶喪失の類である

道を求める者の中に更なる 真実を深める為に
また あるいは人が好きで良く観察したがり 道を求める者
中には 表面的なカッコ良さからブームで
その世界へ あるお仕事のきっかけで入る者も少なくはない
宗教団体 出家 精神世界へと身を置く者もいる
それは 決して悪い事ではない 信仰心はとても素晴らしい事

只 この類への考えかたは 何処か偏って居ると思われる
初めの志は素晴らしいのだが 気が付けば己を忘れ 
それらに依存をし 教祖さまを崇めたりする始末
人は元々物事を見極められるはずなのに 何かの快感を感じてから
心の目で判断をつけられなくなって居られる者も少なくはない
霊感が多少あると修行の道へと行かねばならないと思う人までいる
それは 何のためになのだろう?

ここにスピリチュアル=精神世界も天の教えも
『知りたい 学びたい』 『悟る 目覚める』事とは。。。
と言う観点から 私も自分の体験を通し共感し そして
ずっと疑問に感じてた事柄を。。。
救われた一つの思いを沖縄にS師をテーマにした
著書の中からご紹介したいと思います
魂で感じて見て下さい~

『本当の悟り』

『人は 何とか悟ろうとして 出家して山に篭ったり
宗教に入ったりする様だけど それはみな上へ上がろうと言う
一つの欲の現われさ それは悟りとは逆のものだよ
たとえ それをして自分で何かが分かったとしても それを
悟りとは言わない 悟りとは自分が分かる事ではなく
人を分からせる事を言うんだよ 徹底して他者のために働くことさ

人は自分を発見する為に 
滝に打たれたり断食して瞑想したりする時期
段階はあるのはいいとしても 出家したり 妻帯せずに
自らに禁欲を課す様な『森の悟り』では 普通の実社会では
通用しないのです 
『食欲 性欲 睡眠欲 これは度が過ぎれば欲だけど
本能ではあっても煩悩ではないよ』出家して欲を絶つのではなく
欲はあるのが人間なのだから それをどうバランスを取って
自分だけのためではなく 人の為 
社会の為にどれだけ役立てられるかが大切だ。。。
『欲を断つために出家すると言う事自体が とても欲に満ちているよ』
親を見捨てる様に あるいは家庭をないがしろにして
自分だけの向上のための修行に励んだところで 家庭という足元
基本がしっかり押さえられていない限り 決してうまくはい行かないと
それが 霊性の修行などという高尚な名目であったとしても
それは 自分が良くなろう人より秀でたいという欲なのだと。。。

立派な偉人 聖人は過去にもたくさんいらっしゃいます
しかし イエスも妻帯者ではなく 釈迦も出家されました
これは 凡人ではなかなか追従できません
しかも そうする事すら欲なのだと。。。
『煩悩は我慢すれば何とでもなるよ そんな自分だけの欲ではなくて
本当に大変なのは 自分は水を飲んでても 子供に食べさせなくちゃ
いけないことだよ 懸命に働いて 家族を食べさせなければならない
生活苦の方が 山に篭って瞑想するより遥かに大変だよ』
一人身で 自分の欲だけを見つめて得られる悟りは薄っぺらなのです
自分の家族を守り 子供をまともに育てるほど大変な修行はこの世
にはありません 
『家庭が最高の修行の場だよ 自分の生地 自分の置かれた境遇
その意味を知りその業が尽きるまで
普通に生きる事が何よりの修行なんだよ』

究極の解脱法はこれに尽きると言っていいほどです
新しい時代は教会や寺ではなく 家庭こそが修行の場であり。。。

『ある沖縄の一男性の神様と人間としての体験を通してのお話し』
 
『宇宙心』より
連の雨宿り

※ 一部は省略もあります 


私の経験の中にも ずっと疑問がありました
ずっと 貴方は こうゆうお方ですと言われておりました
『あなたは 人を救わなければ天罪にあたります』
『~をおまつりしなさい』~様々なことを言われておりました
私は幼い頃から 見えない何かに敏感な子供ではありましたが
大人になっても『それ』を特別視したことはありませんでした
神様に『神社へ来い ~来い』は幾度か経験もあります
霊視をしているつもりはありませんが 人と関わると会話を
している相手の本質を感じたりするのは 特別なことではなく
これで 普通なのだと思っておりました
ですから 特別な見方で言いますと生まれ持ってなのでしょう
でも 私はいわゆる『霊能者 能力者』と言う類とは
別な人と人事でありました 時期を追って神秘体験も多くあり
ましたが 始めは戸惑い 能力者を求めて行く様になり
多額の出費もありました 

でも半信半疑のままで 私自身の答えは模索のまま。。。
私は あらゆるお導きを受けてきましたが
本当に 私の使命が必要な時はその時期に新たなお導きがあると
信じております 神様も私にはいつも一方通行ですが
合えて『何をしなさい』俗 修行者の様な事を求めません
むしろ 枠にはめる様なことをさせないのです
ですから 何をする必要もないと考えております
 
只 心の浄化をし 人の痛みを知り 神さまの御心をしり
ご縁あって 分け隔てなく与え 
普通に生きて生活し 出来ます事をするだけです
TVの影響も受けた時期もありまして
『そうゆうものなのかなぁ?』と模索しておりましたところ
やっと『宇宙心』の主人公のお方の意見との魂の答えがありました
私も その様に考えていたからであります

天や森羅万象の神々さまよりのお導きの中での体験の中でも
身を持ってそれは当たり前の事であり
『特別な事ではない』と知りました
己を求め 上(神)を求めて山へ登ると 時に神と称す魔に出会い
操られる 利用される危険もあります 今ここに居て
天の意を知ることの大切さを知って頂きたいと思うのです

それぞれには お役立ちになれる事柄はたくさんあります
マニュアル通りには上手く事が運ばない事がほとんどです
与えられた『生活』から 外れず気づいてくださいませ

私にとっての体験話しは 私を特別視していただく為の
ファッションではなく
『言の葉の意』『体験からの学び』を魂で感じてみてください
意識の準備 受け取れる準備の整った者から与えられるだけ
その人のニーズに合わせての真心のお話しです

私のしてきました事柄は 天や個人にとっては当たり前のことで
そして 私自信が何とも思っていないから話せる事柄もありますことを
ご了承下さいませ 
只 天やすべての仲間に 魂の兄弟姉妹に お役立ちに成れます事を
道を求めた経験のある私の愛の表現である事をお伝えいたします

天の親孝行を果たせます様に祈りを込めて~


            St,mother 皐琳~





© Rakuten Group, Inc.