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癌と闘うサボリーマンの日記

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サボリーマン金太郎α

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2006年01月22日
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カテゴリ:映画・テレビ

昨日映画に行ったら「2名で2000円です」って言われました。レイトショーでもないのに何で安いのかなあ?なんていってたら、実はカップルデイ(毎月22日)だったとわかりました。22=夫婦ということだそうです。
「カップルじゃないんだけどなあ?」なんて嘯きながらも「ラッキーだったね」って連れが喜んでたのでまあいいかな(*^_^*)
確かに22日が土日にかぶるなんて「偶然」は少ないし、平日ならレイトショーを利用するから、運がよかったというのはそのとおりだね。

さてさて、ここから映画の批評です。
 実はこの小川洋子さんの作品、ずいぶん前に読んだことがあるのです。この方、岡山市出身なのですが、私も同じ出身なのでちょっと親近感をもっていました。
作中の女性は結婚できない相手を愛して子供をつくり、一人で育てているのですが、実は私と母も同様な境遇でしたので「偶然」を感じてしまいました。うちの母は妻子がいるのを知らずに付き合っていたようですが・・・。
 一人で生きてくだけでも大変なのに、よく産んでくれたよね。うちは貧乏だったけど母は私に恥をかかせないよう体裁を気にし、朝から晩までよく働いてました。そんなだから晩飯を作るのはいつも自分の仕事で、家で一人で飯を食っている息子を心配する親の気持ちはよく知っているつもりです。だからこの作品に出会ったときはちょっとドキドキしました^-^。
 とまあ、私がこの作品に肩入れしてしまう前提はここまでにして・・・。
 この作品では随所に数学の話が出てくるのですが、それほど難しくなく、なにか昔話のたとえのように澄んだリズムで入ってきます。勉強目的ではなく、興味を持つこと、それによって得られる何かを自分で発見していくことが大切なんだと言っているように思えます。
 劇中では「博士が数学を愛している」というように言っていますが、私には「数学を通じて愛を伝えている」ように感じました。

 ところで、この映画では博士の愛した数式が「オイラーの公式(π^ei+1=0)」だと言っていますが、作中では一度もそんなことは言っていません(それらしいシーンは出てきますが)。「世界の中心で、愛をさけぶ」でも、原作では世界の中心がオーストラリアの「エアーズロック」だなんて言っていないし、映画っていつも解釈がズレるよな・・・って思うのですが。

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余事ですが、本を読んだ私の感想としては、世界の中心は「人の心」だったんじゃないかと思ってます(もっとも、あのタイトルは売上げを狙って後で付けられたそうですが)。
誤解されたくないのですが、決して世の中オレが中心なんて言ってる訳ではないです。
デカルトの「我思う、ゆえに我あり」や、一休さんが「世界の中心はどこか?」との質問に対して「ここです」と答えた趣旨と同じと考えています。
 そもそも世界とは何か?世界とは思考・認識する自我によって成り立つ客観ではないでしょうか。主観の認識によって現れるものであり、カントの認識論によると、個別的内容を超えた超個人的な形式としての主観(超越論的主観)を考え、これが客観的認識を可能にするとか。
 「我思う、ゆえに我あり」とは、世界とは本当にあるのか?まずは全てを疑ってみることから始まります。
・物はそこにあるか?⇒私の夢かもしれない。
・私はここにいるか?⇒私が思っているだけかもしれない。
というようにどんどん疑っていくと、最後に、
しかし私が居ないかも知れないと疑っている私がいることは、否定することができない。
という結論に帰着します。そこから観察者(=世界を構成するもの)としての私の証明ができます。
ところでさらに余談ですが、物理学では「量子力学」というものがありますが、「シュレディンガーの猫」をご存知でしょうか?毒ガス発生装置とスイッチの入った箱の中に猫を閉じ込めたとき、果たしてその猫は生きているのか?死んでいるのか?
 量子力学では、電子の存在を確認しようとすると少々不思議な問題が生じます。難しい話は避けて抽象的に言うと、観察者がいるからその電子の存在が確認されるというわけであって、電子そのものがそこにあるかは不確定(わからない!)ということです。
つまり、見ている人がいないとその電子は存在しないということになります。
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」といってこの理論を嫌いましたが・・・。
有名なたとえ話で、よく物理の学生の間ではそれだけでギャグのネタにされるのが、
「月は誰かが見ているからそこにあるのであって、誰も見向きもしなくなったとき、月はそこに存在しなくなる」
というものがあります。
こんな物理の話でも、哲学に通じるところがあって面白いですよね。観察者がいることに意味がある世界って・・・。
 自分の部屋に閉じこもって誰にも会わない様にした場合、それって生きているって言えるんでしょうか?シュレディンガーの猫みたいに・・・。
「自分のことを誰も見てくれなくなったら・・・」と考えると不安になります(^^;)
「私はここにいる!」って叫びたくなりますね。。。世界の中心で。

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うっかり随分な長話を書いてしまいましたが、映画に出なかった話を補足したかったのです。
原作ではフェルマーの最終定理が証明された話も出てましたね。私が16のときでした。
フェルマーは
○^2+□^2=△^2 (^2は二乗のことです)を成立させる自然数はあるが、
○^3+□^3=△^3 を成立させる自然数は存在しない。

なんて意地悪な予言をして去っていった人です。
ちなみにオイラーの公式「π^ei+1=0」ならそれぞれを3乗してもイコールが成り立ちます(自然数でないから当たり前だけど)。
こうしてみると、数学ってなかなか面白いって思いませんか?






Last updated  2006年01月23日 22時23分26秒
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