日本語の西洋音楽の用語
日本語での音楽用語でいつも思うことを少しだけ、且つ簡単に書いてみます。例えば「強起」「弱起」という、日本語があります。また、「属音」「属和音」、「主音」「主和音」の「属」「主」という日本語もあります。他にも色々ありますが、この二つに絞っての意見を書いてみます。 「強起」と「弱起」「アウフタクト」といったり「弱起」といったりする曲の開始の方法があります。これは何拍子であれ小節の最期の拍から曲が開始する場合に、「アウフタクト」または「弱起」といいます。でも「アウフタクト」はドイツ語で"auftakt"、つまり「上拍」という日本語になる性質のものです。英語では"upbeat"にあたります。さて、日本語の「弱起」は「弱拍」から「起こる」と読み取れます。つまり、「上拍」とは即ち「弱拍」だ、と解釈していることになります。 しかし、盛期バロックよりも時代が古く、しかもラテン系の言葉が付いた音楽には、上拍が強く、下拍が弱いなんて事が良くあります。また、グレゴリオ聖歌などで使われる「アルシス(上昇)」と「テシス(下降)」は、「アルシス」で昇っていても「緊張」ですし、「テシス」で下降していても「休息」です。また、イクトゥスと言葉のアクセントとの関係を見ていっても「強拍」が「下拍」に限定されることなど決してありえません。また、ルネサンスを経てその後の時代、小節線が生まれて今日の楽譜と同じ表記の方法がとられるようになった時代には、「アルシス」は単に「上拍」で「テシス」は「下拍」という意味に限定されてきます。 あまり詳しく書くと長くなりますが、とにかく、西洋音楽の中の歴史や今の実際を見ても、音楽の拍にストレスや重さといった強いエネルギーがかかるか、かからないか、という次元の「強」「弱」は、拍の「上」「下」とは別次元のものです。それが、日本の音楽用語では語ではアフタクトで始まる場合「弱起」と言い、下拍で始まる場合を「強起」と言うのです。 ここから抜け出さない限り、出来ない音楽が西洋音楽には山ほどあるのです。 また、"dominant"、これは日本語で属音といいます(ちなみにtonicは主音といいます)。"dominant"、これはラテン語の"domine"つまり「主」という言葉との関係は見ても明らかです。英語の"dominate"は支配する、や俯瞰する、といった意味があります。スペイン語ではラテン語と全く同じ綴りでやはり英語と同じような意味がありますし、主(あるじ)といった意味もあるようです。実際に演奏をしていても"dominant"を従属的と捉えなければいけない場面などほとんどありません。 しかも英語での"tonic"は活力や発散であり(「ヘアートニック」の「トニック」の様に)、和音の緊張と解決を産み出そうとするときなど、この様子をあえて日本語で説明するときに、私はdominantを「支配音」または「核音」と言い換えます。極端な場合「主音」と言ってしまう場合もあります。また、tonicを到達音(これはfinalisでもありますが)または解決音、と説明します。「属」「主」という言葉は口にしないよう心がけています。しかも、歌の歌詞がラテン語でDomine、Dominusなどと出てきていれば「主」という歌詞の意味に由来する言葉が「属」、などという混乱まで生じてしまいますから、、。 明治の先達の仕事が間違っていると言うつもりは毛頭ありません。偉大な、しかも大変な仕事をされた立派なパイオニア方達だと尊敬こそすれ、私如きが批判できるような人達でないことも重々承知しています。だからこそ、ただ先人の足跡をただ保守的に守るのでなく、意志をしっかりと受け継ぎ、先輩達の仕事の続きを少しでも引き継げるような自分になりたい、と思うのです。 西洋音楽をよりしっかりと「取り調べ」たい、という気持ちが、こういう事に繋がっていくのだ、と思っています。