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September 13, 2014
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カテゴリ:そのほか
<フロイス「日本史」第二部三十章(松田毅一訳、中央公論社「第五十二章」)より>
『毎朝教会はミサに与りに来る人たちで溢れ、夕刻にもふたたび教会を訪れて、聖母の連禱および平素の祈りを唱えた。一同はミサ聖祭の後、主禱文(パーテル・ノステル)と天使祝詞(アヴェ・マリア)を三回、日本の改宗のために声高々とラテン語で唱えた。午後の連禱の後でも同様の祈りを唱えた。
 四旬節の金曜日には、我らの主キリストの御受難の玄義についての説教がなされた後、男女を問わず全員が鞭打ちの苦行を行った。この苦行はミゼレレ・メイが歌い終えられるまで続けられた。』
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<フロイス「日本史」第二部百章(松田毅一訳、中央公論社「第六十一章」)より>
『司祭らを乗せた二隻の船は室を出てから寄り添うようにして航海を続けたが、ある人影のない浜辺に一同は降り立つと、夕刻、一所に集まって聖母の連禱を唱え、その後で日本の習慣に従い、主禱文(パーテル・ノステル)と天使祝詞(アヴェ・マリア)を三回ずつ祈った。』

「三回」というところからロザリオ(コンタツ)と関係するかどうか、良くわかりませんが、”Pater noster””Ave Maria”が唱えられているところから右近領のキリシタン遺物のコンタツとの繋がりはある、と感じてしまいます。また鞭打ちの鞭も千提寺の遺物の中にあります。

また、”Miserere Mei Deus”を「歌った」とあり、”Pater noster””Ave Maria”は「唱えた」とありますが、これらのフロイスのポルトガル語原文(P.José Wiki:編)を見ると、どちらも”rezão”(rezar)という単語で書かれています。なぜ一方は「歌った」で一方は「唱えた」と訳されたのか。フロイスの使っていた400年前当時のポルトガル語の語彙にその手掛かりは隠されている様です。





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Last updated  September 14, 2014 02:59:58 AM
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