カテゴリ:そのほか
9月28日のカトリック高槻教会のコンサート
「今甦るセミナリヨの調べ」 で今回特筆すべき点は近年発見(2007年)された、 日本で唯一のキリシタン祈祷文をそのルーツとなる パレストリーナの音楽と共に聴く事が出来るところだと思います。 大阪府茨木市千提寺の東(ひがし)家で1920年(大正9)に、 有名な『聖フランシスコ・ザビエル像』や『マリア十五玄義図』と並び、 一冊の手帳大の古写本が発見されました。 その後東京に渡ったその書物は新村出によって『吉利支丹抄物』と名付けられましたが、 実に百年近くその内容が吟味される事なく、なんと原書は失われてしまいました。 しかし、影印本は1928年に出版されていたのです。 2006年、千提寺を訪れた当時枚方在住のラテン語の研究者である 原田裕司先生が東家の東満里亜さんから、その影印本の写しを託されます。 そして、キリシタン遺物の発見から百年近い時を経、実に94年ぶりに 日本で唯一の安土桃山時代の史実が原田先生の手により改めて発見されました。 それが『さんちいしもさからめんとのらたにやす』 “Litaniae de Sanctissimo Sacramento”です。 安土桃山時代のキリシタン遺物でフランシスコ・ザビエル像が 数多く残っていたのが日本国内ではこの千提寺のみです。 引き続き、日本で唯一の祈祷文がこの千提寺に遺されていたのです。 『さんちいしもさからめんとのらたにやす』 「さんちいしも」=Sanctissimo=「聖体」 「さからめんと」=Sacramento=「秘跡」 「の」=de=「の」 「らたにやす」=Ladainhas=「連禱」 この祈祷文の表題には「らたにやす」という言葉だけが ラテン語”Litaniae”ではなくポルトガル語の発音で書かれています。 ここにポルトガルの宣教師が自らの口で日本人に伝えたということ、 つまり当時のイエズス会の宣教師の存在を確かに感じる事が出来ます。 その宣教師とは一体誰だったのでしょうか。 そして、誰が聞き取り、誰が筆を持ち、紙に記したのでしょうか。 コンサートの当日、高槻の聖堂で、 その息吹を少しでも感じて頂ければ、と思います。 この祈祷文発見の経緯は 『新修 茨木市史 年報 第6号』 平成十九(2007)年十一月 茨木市発行 『新修 茨木市史 年報 第7号』 平成二十(2008)年十二月 茨木市発行 『洋楽渡来考再論(事とキリシタンとの出会い)』 皆川達夫著 日本キリスト教団出版局 上記の三点に原田先生が寄稿されており読む事が出来ます。 また、 『キリシタンと出版』 豊島正之編 八木書房 で原田先生のコラム「キリシタン版のラテン語」を読む事が出来ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|