市販教材をはじめとする「教材」問題。限界や背景について。
おはようございます。今は8時40分なので、9時まで書きたいと思います。今日は、市販教材の限界と、教材問題について。当会は、スタサプ・公文等、可能であれば他業者のシステムも採り入れる方向で指導を続けてきました。それは、当然のことながら、時間的な制約があるから。現在、多くの生徒は週90分であるため、どうしても出来ることに限界がある。「合格」という「結果」にこだわる以上、成績向上に資するのであれば、利用するのは当然のこと。その方が生徒側にも経済的なメリットもある。だが、他業者のシステム・市販教材には当然のことながら、それらに内在する「限界」がある。まず、「商売」である以上、多数の生徒を対象にする必要があるので、極端にハイレベルな「解法」は絶対に採用できない。一部の生徒しか理解できないのでは意味が無いからである。また、難易度の高すぎる問題は、解説に「スペース」を使いすぎる。業者側のコスト面でのデメリットは小さくない。多くの生徒は、合格するために灘や開成の過去問の中でも難易度が高い問題なんて、そもそも必要がない。受験上、「捨て問」の戦略的な意味は当然存在するし、受験での「時間の使い方」の意味でも、ハイエンドな問題を取り扱う意味合いは、普通の生徒には存在しない。ただ、四年生・五年生ならば、市販教材やスタサプ等でも作戦の立てようはある。理由は簡単です。四年・五年は全然仕上がっていないので、「早く仕上がれば優位に立てる」とう単純な戦略が有効に機能するから。上の学年の生徒が下の学年の教材を見て「かんたん~」と言う、あれである。ただ、理由が単純なので、限界も単純。七年生用の教材なんかないので、六年生での優位を同じやり方では築けない。ただ、早く仕上げれば良いという戦略は、六年生でも意味をもつが、今度はハイエンドな教材がそもそもないという上記の「限界」が立ち塞がる。塾の専用教材や、ハイエンド講座の教材が、メルカリやヤフオクで高値で取引される理由はここにある。要は、「それしか手がない」のである。また、当会のような業者が生き残る道がそこにある。市場に存在しない塾用専用教材以外のものがあれば、当然に優位に立てる。当会が、多大な手間を問題にせずに教材を作り続ける理由でもある。だから、当会のような独自教材を作る業者は、競争力の「一因」である教材を「売却」することは基本的にありえない。というかほぼ絶対的に。出版社が数万部の販売を前提に「単価」をつけるが、当会のような業者は、下手をすると10人程度しか利用しない教材がたくさんある。時折、教材を販売して欲しいとの依頼に接することがある。しかし、コストを考えると、出版社対比で、客数が数千分~数万分の1なので、当然に単価は少なくとも数千倍にしないと割に合わない。極めて、単純な理屈。ただ、買いたいと思ってくださる人には通用しない理屈。しかも、作成側から見たとき、希少価値という価値は、流通にのせたとたんに、その「希少」という価値は消滅する。そうなると、さらなる希少価値を作りだす必要に迫られる。多大な時間と手間を使うことになる。だから、販売するという「選択肢」は最初から存在しないに等しい。それだけではない。実は、販売しない実質的な大きな理由は他にもいくつかある。一つは、「質問対応」である。数百時間を使って作った教材を数千円や数万円で売却し、その上、その教材の質問対応のために長時間を使うのは、業者としてはまさにバカの見本である。それに、もっと本質的な「そもそも論」がある。日本でもトップと言われる学校の「合格」は、生涯年収等の「変化・向上」をともなうので、「合格した」場合、少なくとも数千万、多くの場合、「億単位」のメリットを手にすることになる。この状況があるから、数年前に灘受験がらみで訴訟になった「三千万円」の指導費用なんて、トラブルまで起きる。この状況がある以上、力のある業者は「安売り」「節約」なんて、興味をもてるはずがない。スタサプや、高校受験の世界とは、そもそも「経済的な背景」が全く違うのである。繰り返しになるが、灘・開成・東海などの学校は、教育に百万単位の費用をかけても、合格がでるのであれば十数年後には、元がとれて、巨額なおまけまでくる。業者の方も、そんなことは百も承知である。おまけに、当会の場合、多数の生徒は週90分程度。合格率から考える経済的な「期待値」を計算したとき、十分な価値を提供していると判断している。言い換えれば、今以上の値引きや要求をしてくる家庭と付き合いたいとは思ってない。繰り返しになるが、、教材だけの提供なんて、現状では1ミリも考えていない。高級車のディーラーは値引きやちまちました要求を繰り返す客は相手にしないという話を聞くことは少なくない。別の顧客を探す方が合理的だからだろう。商売的な環境としては、類似点が少なからず存在するのだろう。今日は、ここまで。