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というわけで、今回はかなり怒ってみたりします。
私は阪神ファンですので、彼の行動には相当腹に据えかねるものがあるのですが、彼が尊敬している人物を「石田三成」としているのを聞き、さらに怒りを浸透させています。 そこで、今回は石田三成ファンからの怒りをご紹介しましょう。 石田三成公は、現代で言えば官房長官としての役割を担っており、秀吉の片腕となって数々の内政事業を成し遂げた人物です。 組織運営能力も非常に優れており、敗れはしたものの、本来ならば勝ち目のない勝負を互角以上にまで持ち込んだこともまた、評価されて然るべきでしょう。 おそらく氏は、このような派手な一面のみを持って「尊敬」していると言っているのでしょうが、私はこれはあくまで三成公の一部であり、それが全てではないと考えています。 三成公にこのような側面があったことを忘れてはならないでしょう。 まず、彼は江戸時代以降も完全禁止される直訴を、あくまで条件付きではありますが認めております。 1900年頃に田中正造が命懸けで足尾銅山の鉱毒を直訴したことを考えれば、その300年以上前にその土台が失われたことは残念としか言いようがないでしょう。 また、公は公明正大な方でもありました。不正を許さず、他人にも厳しくありましたが、それ以上に自分に厳しくありました。また、主君秀吉に対しても、悪いことは悪いと諫言の出来る人でした。 そして何より、公は気骨豊かで清々しい方でした。先に挙げた主君秀吉に対する姿勢もさることながら、認められるならば何をやっても良いと言った法の本質を蔑ろにすることを嫌い、そして強大な勢力にすら決戦を挑みました。自らの全身全霊を持って、戦略的に互角以上の状態を作りだしたのです。 そして敗れたりといえど、決して卑屈になることはありませんでした。最後の最後まで望みを捨てず、それは敵の総大将である徳川家康にすら絶賛された程です。 翻って、彼はどうでしょう? 法にさえ従っていれば、何をしてもいいという法そのものの本質を軽んじる行動。ファンクラブの人間だけが、株主だけが「ファン」であるという傲慢さ、反対の世論が大きくなれば、慌てたように「ファンに真意を問う」というていたらく。そして、少し論破されれば途端に卑屈になる浅ましい姿。何より、味方面をして媚を売るその態度。 三成公のお名前を汚しているとしか思えません。 三成公を尊敬しているというならば、公の正義感をこそ見習って欲しいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 13, 2005 08:35:13 AM
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