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カテゴリ:それ以外
若江八人衆、彼らは豊臣秀次に仕えた重臣達です。
私は大の石田三成贔屓なのですが、その関係から彼らも大好きだったりします。 彼らが三成に仕えたきっかけは、秀次事件にあります。 秀頼が生まれた為に用無しとなった秀次は、よくわからない罪を着せられ、始末されてしまいました。 この際、大半の諸将が秀次を見限る中で、三成は前野長康や細川藤孝らと協力し、秀次の助命に奔走します。 秀次刑死後、その姿を見ていた若江八人衆達はこぞって三成の下に馳せ参じます。 そして7年後の関ヶ原で、彼らの殆どは奮戦の末戦死してしまいます。主秀次の無罪を最後まで信じ、救おうとした三成の恩義に報いる為に。そして何より、彼ら自身が死に場所を求めていたかのように。 今日9月15日は関ヶ原の戦いが起こった日(厳密には旧暦なのですけどね/滅)、406年の時を経て、彼らを初めとした、関ヶ原西軍に属した人達の生き様に思いを馳せたいものです。 西軍の中でも、石田治部(三成)、備前宰相(宇喜多秀家)、小西摂津(行長)の3人(と彼らの家臣団)はとても贔屓にしているのです(爆) 戦場以外では、真田安房(昌幸)や、次男の検非違使(信繁のこと。後世に創られた幸村という名前の方が通りは良いですけどね・・・)、佐竹右京(義宣)あたりも好きだったりします。 番外として、立花宗茂、長宗我部盛親や長束正家、大谷吉継、島津義弘、毛利秀元も・・・それなりに好きかなと(官職で呼ばない辺りに、扱いの差が/ぁ)。特に前者2名は、関ヶ原とはあまり関係ない箇所で好きなので(滅 あと、東軍でも津軽右京(為信)とか、真田伊豆(昌幸の長男、信幸のこと)は好きなんですよよよ。(信幸関連で、本多平八郎とか小松姫なんかもね・・・) 逆に嫌いなのは山内一豊や福島&加藤、浅野幸長、吉川広家、ついでにどさくさ紛れに寝返った脇坂・小川・朽木・赤座という、大変分かり易い構図となっております(爆/小早川の坊やは「しゃーない」という扱いらしい) ただ・・・山内一豊については、今年の大河で、大好きな上川隆也さんが演じていらしたので、かなり微妙な存在です(滅)上川さんを山内ごときになんて、もったいない!と本気で思っているほどのアンチぶりですが(遠い目 もっとも、どうでしょう藩士としては、それ以上に宇喜多秀家役のヤスケンが気になりますが・・・秀家も、美形と伝えられていますからねえ・・・(何 史料として殆ど接点を見いだせないのに(秀頼なんて、文禄の役で朝鮮半島に赴いている時に懐妊してるのに・・・瞬間移動でも使って密通してたってのかい。猫貴族やないんやぞ(何))、未だに三成淀殿姦通説に拘っている大河は嫌いなのですけどね(そもそも見てない)。 旧日本軍参謀本部の馬鹿共の亡霊が今でも幅を利かせているかと思うと、虫酸が走りますが。ぺっぺっ(落ち着け) とにかく、関ヶ原の中心(当然三成の本陣があったとされる笹尾山)で西軍贔屓を叫びたいものです(何 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 15, 2006 10:22:09 AM
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