男と女<男と女> 男女間の問題は、性差別、性同一性障害、性犯罪などいつの世も深刻だ。むしろ男女の差をなくそうと 法制度や社会が変わってきても、それはいっそう複雑化し消えることはない。 『話を聞かない男、地図が読めない女』というベストセラー本があり、私も少し前に読んだ。 簡単に言えば男と女は脳の構造からして違うのであり、行動や感情も違うのが当たり前。だから同じように扱おうとしても 無理があり、違いを互いに認めた上で共存していくべきだ、といったことが書かれている。 男であっても女よりの脳を持つ人もいるし、その反対もいる。そういう人がゲイになりやすかったり、 性同一性障害になりやすい、とも書いてあった。 今更男と女どっちが優っていてどっちが劣っているか、そんなことは思うでもないが(違うのだから優劣などつけても 意味がない)男に生まれてきたかった、と思ったことはある。 例えば月一の生理の煩わしさが嫌になったとき。例えば親に「女の子なんだから○○くらいちゃんとしなさい」と言われたとき。 例えば夏の暑いときブラなんてつけなきゃいけないときetc。 男になって、男側のセックスの快感を味わってみたいとか、そういうことを考えたこともある。 生理的苦痛は子供を産むことができる女に与えられたものなのだから、むしろ喜ぶべきことなのかもしれない。 聖書ではイブが禁断の林檎をアダムに勧めた罰として出産の痛みを神より与えられたとあるが・・・今イブを責めても仕方ない。 ひとつの命を生み出すことが出来る。それはすごく大きなことじゃないかと思う。 一人の力だけではどうにもならないけど最終的に命を作り出せるのは女だけなのだ。 そしてその命は無限の可能性を秘め誕生する。女に与えられた特権だ。 「女らしさ」とか「男らしさ」を子供に要求するのは日本の文化の一つかもしれない。 どんなに暑くても日本ではノーブラで乳首が浮いたまま歩いている女性を見ることは滅多にないが、 海外(特に欧米)では当然のことのようにお目にかかれる。 まったく家事をしない男性も、少なくとも私が半年滞在していたオーストラリアでは珍しいほうになる。 男らしさとか女らしさとか、そういうものよりも自分らしさを追及することのほうが重要視されているからだ。 男らしく、女らしくなるのは、悪いことではないし成人し大人になるにつれ誰でも意識していくことだろう。 でもそれを追求するがあまり、自分らしさがなくなってしまうのでは意味がないと思うのだ。 男だから女だから、何が出来なければいけないとか、これが出来ないと白い目で見られるとか、 そういうのが間違っているのであって個性のひとつとして、相手をいろんな側面から見ることが出来るような そんな文化になっていけたら、日本もいいかんじだと思う。。。 ジャンル別一覧
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