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Rainbow Sigh

Rainbow Sigh

豪州滞在レポ4


豪州滞在レポ4

『ケアンズの問題家族』



13人の大家族の次に、奥さんと旦那さんと2歳の男の子の家族のところにお世話になりました。
2週間弱というとても短い期間でしたが、クレアの家族と親戚のおうちだったので私の情報はすでに知っていたようで(情報というか評判というか。働き者だからなんでもしてくれるよというようなことをクレアは言っていたそうです。おかげで普段しないようなコアな掃除ばかりしてました。笑)、働き始めもとてもスムーズでした。
クレアのとこよりもさらに郊外にあって、庭ではヤギを飼っていました。毎朝旦那さんがヤギの乳搾りをするのが日課だったんですね(私はちょっと抵抗あって一度も飲めなかったけど・・・)。
奥さんがベジタリアンというか、すごく健康オタク(笑)で、特に食べるものにはものすごく気を使っていた家庭でした。食品添加物とか着色料とか、そういったものをできるだけ使わない所謂自然食品ばかりで、だけど料理が上手なのか味気ないと思ったことは一度もありませんでした(家族は食べないけれど私のためにソーセージを買ってくれたりとかしたので、不満は感じませんでした)。

このお宅では掃除と、それから子守が仕事の中心だったのですがこの2歳の男の子がとってもとってもと~~~~っても可愛かったんです!ドミニックっていって、私はドムドムと愛称で読んでたんですけど彼も覚えたての言葉で舌ったらずに「シャ~シャ」って言ってなついてくれました。
たかいたかいをしたり、ぐるぐるまわしたり、追いかけっこしたり、ボールの投げっこしたり・・・。楽しいと何度も何度も「アゲー(もう一回の意味)」と言っておねだりされたり。ほんと天使みたいに可愛かったです。
最後お別れのときドムドムは車の中で寝ていたので、私は奥さんに見送られて次の滞在地のケアンズに向かったのですが後日電話したときに「あの後サチがいなくてドミニックがすごく泣いたのよ」と言われました。

それから高速バスで何時間か揺られて北上し、ケアンズへ。(何時間かかったかよく覚えてないんですが、多分・・・6時間以上だったと思います)
南半球の国ですから、北上=赤道に近くなり暑い、ということで季節もちょうど夏になった時期だったのでケアンズに降り立ったときはその湿気と熱風にものすごく驚きました。

ケアンズは小さい港町であり観光地です。それまでいたブリスベンと違い規模は小さいのですが区画がしっかり整備されているし、平らな土地なので町の雰囲気がよくわかるところです。
次にお世話になったのは、フランス出身の旦那さんと、自由奔放な奥さんグレイス、モニックとマリー・女の子ふたりの現代的な家族でした。グレイスが数年前に稀な現代病になってしまって時々体が自由に動かせなくなったり疲れやすくなったり、精神的に不安定になったりするため、家事を手伝う人が必要とのことでした。

この家族から正式に「仕事」と認定されて、週ごとにお小遣い程度でしたがお給料をいただくことになりました。ブリスベンで後半滞在したふたつのカトリック家族とは対照的というか、ある意味とてもイマドキの一家というイメージです。グレイスは若い頃から結構不良だったみたい(高校中退らしい)で足首にタトゥーを入れてました(これがグレイスのお友達とか、結構みんな日常的に刺青してるんですね。ちょっと最初は怖かったです。面白かったのが、グレイスの親友レネーの旦那さんの背中の刺青。ちょっと日本フリークらしいんだけども、ある日突然私の部屋にきて「見てよ」と言ってTシャツまくりあげて背中見せてきたんです。んで「なんて書いてあるかわかる?」って言われて、そこにはたしか『恋・憎』の文字。うーん・・・。愛憎って書きたかったのかなぁって思いました)。
それにグレイス、上の女の子を生んだときはまだ未婚で、しかも生まれてからもしばらく籍は入れず二人目の女の子が生まれてから正式に婚姻関係を結んだというからこれも驚きです。(どちらも旦那さんの子供だけれど)
奥さんには生みの母親と育ての母親がいて、これがどっちも日常的に訪ねてくるという環境で、当初私は誰が誰でどんな関係なのか全然把握できなくて困りました(笑)。

それまで全然経験しなかったことですが、この家族では夫婦ケンカが日常的にあって、時にはとってもヒートアップしちゃってまったく手がつけられない状態になったことも何度かありました。
ある朝起きて朝食と子供たちのランチ(学校に持たせる、お弁当までいかない簡単なもの)を作るために台所に行くと流しのところに割れたコップが無造作においてあった、なんてこともありまして。(どちらかが投げつけて割れちゃった、ってことです)グレイスが泣くのも結構ありましたし旦那さんが叫ぶのもありましたし・・・。とにかくすごかったです、そういうとこが。

そうかと思えば、夜(といっても深夜ではない)に水を飲みにご夫婦の寝室の前を通りかかったときに喘ぎ声が聞こえたりとかね・・・(汗)。ほんとなんですよ。。。。せめてドア閉めてしてほしかったですね・・・。仲直りしてくれてよろしいんですけども。

それで子供もまた、これまでと違って一癖も二癖もあるコなんでした(笑)。特にモニックは小学校一年生に当たる年だったんですけどすっごく頭が良くて(そういう意味で)私からこっそりおやつを買ってもらおうとしたり、親からいい具合に逃れる隠れ蓑に私を使ったり、とにかく今までにない頭脳犯でした彼女は。自分が可愛いことを知っている女の子です、わかりますかね(笑)。
それでもなんとかふたりの女のことも仲良くはなったんですけど、それまでの子守とは全くもって疲労感が違いましたね。

そうそう。国際免許を取っていったんですけれども、ここで初めてオーストラリアで運転する機会を与えてもらったんです。が。日本でも軽自動車しか運転したことない私(しかも運転技術がとても未熟だった頃)は、旦那さんの愛車(プジョー。高級車でございます)をバックで車庫から出すときに早々とこすってしまいまして(!)それ以降一度も運転席には座りませんでした。好意的に修理代とか請求されなかったんですけども(というかグレイスが疲れたときに運転してやっちゃったことにして旦那さんにはナイショねという話だったんだけど、旦那さんは絶対わかってたと思う)申し訳ないことしてきました、あは。

モニックを小学校まで送り迎えしたり、おつかいにいったり、休日は駅前ショッピングしたり、ケアンズでの生活は結構外に出る機会が多かったですね。この頃には街中でインターネットができたので、日本の友達や研修で知り合った友達とメールのやりとりをしていたりもしました。研修で一緒だった友達の何人かは、プリペイド式の携帯電話を持っていたのですが私は長期滞在は考えてなかったし、日本を離れているときくらいそういうものを持たない生活をしようと思って買いませんでした。

それでこのケアンズでの生活は、次のマンゴーファームにつながっていくのです。








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