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Jan 30, 2009
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カテゴリ:直江兼続
 

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      「上杉景勝と兼続の最後の合戦」(八)

 慶長十九年十一月九日、家康は諸大名に兵糧船と兵船を堺へ回送させる

命令を発し、二条城を出陣し奈良街道を南進し住吉の地に着陣した。

 一方、将軍秀忠は枚方(ひらかた)を経由して平野に陣を布いた。

 徳川軍約二十万余の軍勢に対し、大阪城に籠もる総兵力は約十万名であっ

た。彼等の多くは関ヶ原で合戦もせずに傍観した者や、改易となった大名の

浪人等であった。そんな中に異彩を放った男達がいた。

 真田幸村、後藤又兵衛基次等の浪人大将であった。

 彼等には豊臣家に勝ちみのないことを知っていたが、この合戦で天下に我が

武名をあげ、死花を咲かせようと馳せ参じた男達であった。

 若い時期から合戦に明け暮れてきた家康は、今年七十三歳となっており、

彼等の意気込みの鋭さを読んでいた。

 家康の戦略は堅固な城塞に籠もる、大阪方への力攻めを避け、淀殿をはじ

めとする女子衆を脅し、心理的圧迫を加え勝利を得る考えであった。

 家康は淀川本流をせきとめ天満川の下流の水量を減らし、大阪城の濠の

水位を低めた。

 これは大阪城の本丸が北にあり、それを守るように天満川と木津川が合流

し、天然の要害となっていた。

 その地形上の優位さを殺(そ)ぐ事が目的であった。

 案の定、淀殿はじめ女子衆は恐怖の眼で天満川の水位を見つめていた。

 この天満川を徳川勢が渡河する事態ともなれば、本丸が合戦の前衛となる。

 最も安全な本丸が、第一線の戦場に化すことになるのだ。

 戦を知らぬ女共め腰を抜かすであろう、家康はほくそえんでいる。

 更に老獪な家康は追いうちをかけた。豊臣家恩顧の大名である、四国、

阿波十七万石の蜂須賀家政に、大阪城と木津川を結ぶ補給路の要衝である、

穢多崎(えたさき)砦の攻撃を命じた。

 十一月十九日に蜂須賀勢の三千名が戦端をひらいた、これが大阪冬の陣の

始まりであった。突然の攻撃にさらされ砦が陥ち、大阪城の西の船場一帯が

徳川勢に支配された。蜂須賀家政は西本願寺の南御堂に本陣を構え、先鋒

大将である、中村右近は淡路町に陣地を構築して籠もった。

 その頃、戦端がひらいた報告を受け、景勝と兼続は作戦会談をもった。

「いよいよ我が家の出番じゃな」  景勝が青黒い相貌で口火をきった。

「殿、大阪城の西北には今福の地がござる、その南には鴫野(しぎの)がござ

る。この中の一つが我等、上杉の合戦場となりましょうな」

「どちらも厄介な地形じゃな」  景勝が低く呟いた。

「左様、どちらも大和川のふけ地にございます。敵はそこに柵を設け防御

しております」  兼続が見てきたように答えた。

「わしは、どちらでも構わぬ。今度こそ我が上杉の軍法の烈しさを見せてやる」

 景勝が嘯いた。事実、景勝は戦塵にあっては、秋霜烈日の気象をもった武将

であった。この気迫さえあれば将兵は恐れてついてくるものだ。

 直江兼続は景勝の戦場のありさまを、脳裡に彷彿させていた。

 景勝の本営を守る旗本は、槍を伏せてしわぶきひとせずに無言でうずくま

り、景勝の下知を待っている。他藩の武将は上杉家の軍団を無言の軍団

と評し、恐れていた。

「鴫野口の担当ならば厄介、地形は泥土で兵の進退が思うにまかせませぬ」

「兼続、その為に鉄砲隊がある。敵の柵なぞは大筒で粉砕いたせ」

 景勝がいとも簡単に云ってのけ、思わず兼続が苦笑を浮かべた。

 こうした時に家康の使者が上杉の本陣に訪れてきた。

「大御所のお下知をお伝えいたしまする。中納言さまには鴫野口を攻め取って

頂けとの仰せにございまする」

「・・・」 景勝が濃い髭跡の顔をみせ無言で肯いた。

「大御所さまに、お伝え願いたい。上杉勢は明朝に鴫野に攻めかかりますとな」

 傍らの直江兼続が代って答えた。

「畏まりました」  使者の武者も直江兼続のことを知っているようだ。

 言葉づかいも丁寧で興味深く兼続の顔をみつめている。

「お使者、今福攻略はどなたかな?」

「佐竹義宣さまにございます」  使者はそう述べて戻って行った。

「殿、佐竹殿と競争にござるな」

「埒(らち)もない、兼続、明日からの合戦を偲んで酒を酌もう」

 景勝が無愛想な顔つきを見せている、この合戦がこの戦国時代の最後とな

ろう、そんな感慨が二人の胸をよぎっていたのだ。          続く






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Last updated  Jan 30, 2009 03:56:12 PM
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