長編時代小説コーナ
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龍5777
基本的には時代小説を書いておりますが、時には思いつくままに政治、経済問題等を書く時があります。
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「死に遅れた男」 そんな時期に且元に危機が訪れていた。それは方広寺の大仏殿の再興と 梵鐘の鋳造を、家康から頼まれた事から起こった出来事であった。 家康の思惑は豊臣家の財力の消耗であったが、彼の謀臣、本多正純には 別の考えがあった。正純は梵鐘の銘を南禅寺の静韓上人に依頼するよう且元 に説いた。その鐘銘には「君臣豊楽、子孫殷昌、国家安康」この文言が掘り込 まれていた。これが豊臣家の攻撃の口火となるとは且元は露知らず、大御所の 命として淀の方に進言した。これには淀の方も異論がなかった。 故太閤殿下供養と秀頼の安穏を祈願するものと考えたのだ。大仏殿は慶長 十五年六月から工事に着手し、梵鐘は十九年の三月から鋳造にかかった。 それに連れ全国各地から続々と浪人が入城してきた。宇喜多家の名将として 天下に名を轟かした、明石全登も入城し大阪城は興奮につつまれた。 既に軍勢は八万をこえ、なおも引きもきらずに入城していた。 庄兵衛の配下は百名を数えるまでになり、猛烈な調練に明け暮れていた。 鍬形四郎兵、生駒軍兵衛は隊将として配下の兵を手足のように指揮できる まで腕をあげていた。 庄兵衛が自慢の当世具足を纏い、黒鹿毛に騎上し姿を見せると、加持勢は 粛然となった。我が兵は強い、庄兵衛は膚で実感し合戦に心を騒がせていた。 慶長十九年八月三日、大仏開眼と堂供養が行われることとなり、その準備を 進めている最中に、突然、江戸幕府より延期命令が届いた。 その原因は梵鐘の銘にあった。「国家安康」この文言は家康を呪詛する言葉 である、家康公の名前を安の字で引き裂くものである。これが原因であった。 淀の方は家康の怒りが甚だしいと不安に駆られ、片桐且元と大蔵卿、正栄尼 を謝罪の為に駿府に赴かせた。 これが豊臣家の誤算であった。家康は別々に女衆と且元に対面し、それぞれ に別の言葉をかけたのだ。 大阪城に戻った両者の報告は全く違ったものであった。 家康はまんまと淀の方と強硬派を篭絡し、且元は四面楚歌となった。 九月が終りに近づいた時期、長屋に真柄新三郎が姿をみせた。 「加持殿、今宵、殿がお待ちにござる」 「これは珍しい」 庄兵衛の顔が緩んだ。 久方ぶりに殿のご尊顔が拝める。陽が落ちると同時に軽装で外曲輪に足を 運んだ。庄兵衛は城内が騒がしく揉めている事を知らなかった。 屋敷に着くと且元をはじめ重臣等が庄兵衛を待っていた。 (なんやら暗い雰囲気じゃな) 瞬間、不審に感じられた。 「加持か、待ちかねたぞ」 「遅れまして申し訳ございませぬ」 庄兵衛が定めの席に腰を据えた。 「庄兵衛に杯を取らせよ」 眺めると各人の前に膳部が置かれ、且元以下の重臣の顔が強ばっている。 「殿、いかがなされましたぞ」 「余は疲れた。豊臣家のために奔走して参ったが、今日それも無駄となった」 「・・・・」 庄兵衛の胸に不安が奔りぬけた。 「そちも承知しておろう、方広寺の建立と梵鐘の件は」 「はい、承知いたしております」 続く
武辺者(29) Apr 22, 2010 コメント(4)
武辺者(28) Apr 21, 2010 コメント(3)
武辺者(27) Apr 20, 2010 コメント(3)
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